400年の歴史と現代の息吹が融合する長崎の宝物「びいどろ」世界も認める高い技術力を持つ小さなガラス工房
海外との交易で栄えたまち「長崎市」で、古くから親しまれてきたガラス「びいどろ」の魅力に迫る。 体験もできる小さなガラス工房は、世界も認める高い技術力を誇っている。 【画像】ガラスを生み出す職人の技は美しい 出島から長崎へ「びいどろ」 鎖国時代、海外との唯一の窓口だった長崎市の「出島」。 当時はオランダから砂糖や生糸、それに織物といった輸入品とあわせ、ヨーロッパ製の美しいガラスの器など貴重な品ももたらされた。 1676年には、長崎で和製の吹きガラスの製作が行われていたとされ、ポルトガル語で「ガラス」を意味する「びいどろ」と呼ばれた。 折れそうなほど繊細な注ぎ口。 18世紀(江戸時代)に長崎で作られた冷酒用の急須「長崎チロリ」もその一つだ。 一度は途絶えた技術を現代に復元したのが、長崎市松が枝町のガラス工房「瑠璃庵」。透明度の高いガラスの器や温かみのあるステンドグラスのランプシェードなど、手作りの品々が並ぶ。 グラスブロワーの竹田礼人さん(52)は、吹きガラス職人として30年近くにわたり「長崎びいどろ」を作り続けている。「自分で考えたものが自分の手を通して形作られていくのが好きで、それが一番の喜び。うまくなればなるほど作れる幅が広がるので、全然終わりがない。ずっと楽しいという感じ」と、仕事のやりがいを語る。
ガラス作りは時間との勝負
作品は完成しないと何ができるかわからない。 作業の行程で色がみるみるうちに変わっていく、その変化が何とも魅力的だ。 ピッチャーセットは2023年に長崎市で開かれたG7(=主要7カ国)の保健大臣会合の記念品にも選ばれるなど、高い技術力は世界も認めている。 ここでは「びいどろ作り」を体験することができる。(※要予約)取材したアナウンサーが挑戦した。 基本は先にガラスを付けた棒・吹き棹を「反時計回りにぐるぐると回す」。これが滑らかに回せれば滑らかな形になりやすいという。 回転が途中で止まるとガラスが落ちてしまうので、ずっと回し続けなければいけない。吹き棹はずっと持っていると重みを感じてくる。カラスを付ける度にさらに重みが増していく。 ガラス作りは時間との勝負。 窯の温度は1100度。窯は1年間、火をつけたままで1日のガス代は4人家族の家の1カ月分に相当する。中には溶けたガラスが約100kg入っていて、まずは吹き棹の先に透明のガラスをつける。 少し押すと色の粒がつく。色付けに使うガラスは14種類。 色ガラスは透明のガラスに金属の粉末を混ぜて作り、金だと「ピンク」、コバルトは「青」、鉄は「緑」になるという。 ガラスを溶かす。息を吹き込んで形を整える。 そしてまた、窯に入れてガラスを溶かす。この工程を何度も繰り返す。 この距離でも熱い! 左手で吹き棹を回転させながら右手で形を整える。回転が止まるとガラスが落ちるので手を止めることはできない。 熱いガラスの形を整えるときに欠かせないのが、塗らした新聞紙だ。回しながら右手に持った新聞紙で優しくガラスを触る。簡単そうに見えるが、 実際は1回転させるのがとても難しい。 滑らかな回転を習得するまで3年ほどかかるといわれている。 ガラスを膨らませたり、別のガラスを巻き付けて模様をつけたり、 息つく間もなく約15分が経過。 飲み口を作るとオリジナルグラスの完成だ。 すぐ手に取りたくなるが、この時点でまだ500度もある。半日ほどかけて冷まし、仕上げの加工をすると、ようやく受け取ることができる。
長崎のガラス工房から世界へ
「物がずっと残るのがうれしい。僕がいなくなったとしてもたぶん物は残っていくと思う。昔は出島から長崎に物が入っていたのが、長崎から、うちから、ガラスが出ていくというのが何ともうれしい」と、この仕事の醍醐味を語る竹田さん。 今はまだ詳細は明かせないが、地球規模のビックプロジェクトに取り組んでいる最中で、きょうも長崎の小さなガラス工房から世界に誇る「びいどろ」に息を吹き込む。 (テレビ長崎)
テレビ長崎