ひいきチームのファン対立からパレスチナ紛争まで… 人を争いへと誘う「悲しき性」をシカゴ大教授が解説
「相手の間違った見方の原因は、敵意などの個人的な欠陥である」と考える間違い
あるイギリス軍兵士が、抗議活動をする共和主義者を撃ったとしよう。それは、兵士が未熟だったからなのか、やむを得ない状況だったのか、パニックに陥ったのか、あるいは自己防衛のためだったのか? ――つまり、状況のせいだったのだろうか? あるいは、兵士に悪意や偏見があって、共和主義の理念を押し潰そうとしたのか? ――つまり、人間のせいだったのだろうか? 残念なことに社会心理学によれば、答えは、事件を起こしたのが自分たちのグループの メンバーであれば状況のせいにし、ほかのグループのメンバーであれば人間のせいにするというものである。 なお悪いことに、誤った解釈は、ほかのバイアスとの相互作用によって、さらに厄介なものになる。「ナイーブ・リアリズム」を思い出して欲しい。自分は世界を客観的に見ているが、他人はそうでないと考える傾向のことだ。「誤った解釈」は、相手の間違った見方の原因は、敵意などの個人的な欠陥であると考えることを意味する。そのとき彼らが怯えていたとか、訓練不足だったとかいう状況は見過ごしてしまうのだ。 例えば、アメリカンフットボールのファンは、相手チームの暴力はひどい反則と見なすが、自分たちのチームの暴力は正当な報復として理解する、という研究結果がある。それは双方が同じビデオを観た場合でも変わらない。同じことは政治的党派にも当てはまるように思える。 ある研究者のグループは、キリスト教の民兵がイスラエルのレバノン侵攻に紛れてパレスチナの難民キャンプを急襲し、数百人の民間人を殺害したテレビ報道を人々に見せた。親イスラエルの視聴者と親アラブの視聴者は、同じビデオから異なる出来事を読み取った。双方が一致したただ1つの見解は、「メディアに自分たちに批判的なバイアスがかかっていて、公正さを欠く放送になっていた」ということだった。 解釈が重要だというのは、人間は不可抗力による誤りや、出来事、行動に対しては、怒りが膨らまないからである。人は状況に対しては寛容になれるが、人間に対してはそうではないのだ。