引き返せなかった太平洋戦争への道…満州事変で覚えた「うまみ」、生活よくなり戦争は「善」になった
失業者が増え、農村の娘の身売りまで横行する暗い社会にあって、外国の軍隊に勝ち、領土が広がる。世論は急速に陸軍を支持し、大半の政党人がそれを追認する。メディアも戦意高揚の記事を書き、部数を増やす。皆が戦争のうまみを覚えてしまったのです。
戦争は大型公共事業のようなものです。続けるためにどんどん財政出動する。金は市中に流れ、デフレからインフレ状態となります。32年度の一般会計歳出実行予算の規模は20・2億円。前年度比34・7%の大幅増でした。その中心は軍事費である「満州事件費」2・9億円です。軍需産業の興隆が起こり、都市では景気が回復し、日本は世界恐慌からいち早く脱出します。
生活がよくなったので、戦争は悪ではなく善。陸軍はその立役者です。軍・産業・メディア・国民、それぞれの「成功体験」が、日中戦争、ひいては日米開戦へとつながっていきます。その起点である37年7月の盧溝橋事件の際、国民は、満州事変のように、戦果と好景気を期待しました。そして、すぐ終わると。
民生後回し
戦争の怖いところは、始まったばかりの頃は景気がよくなった気になって、長期化すると、その状況が一変することです。戦争経済というものは、あらゆる産業の活動をすべて戦争に集中させてしまう。軍需産業のようなところにはお金が投じられるけれど、生活必需品など民生の分野は後回しになります。
買いたいものが買えない、必要なものが手に入らないとなると、政府はこれをコントロールします。まず砂糖・マッチが切符制となったのは40年。この時点で、日本は引き返せない道を歩き始めていたのでしょう。(聞き手・文化部 前田啓介)