緊迫度を増す南シナ海情勢:フィリピンから考える海洋における法の支配の促進
海洋における法の支配を強化するのはだれか
海洋における法の支配の促進は、日本政府の自由で開かれたインド太平洋構想の柱の一つである。また、米政府もインド太平洋戦略を公表してきたことから、法の支配や国際法を強調するのは先進国、あるいは西側で、グローバルサウスはそうした規範を受入れないという主張がなされることがある。しかしながら、国連海洋法条約制定の歴史をさかのぼれば、海洋における法の支配を目指したのは、途上国側であった(※13)。同条約を制定するための長い交渉の過程で、フィリピンは、12カイリの領海という主張を、同盟国米国の反対をはねつけて主張した歴史がある(※14)。 海洋における法の支配を体現する国連海洋法条約は、西洋列強による力の支配を否定しようとした新興独立国の外交努力の結果でもあり、西側由来の規範というのは歴史的根拠のない主張である。歴史を踏まえれば、南シナ海問題において法の支配を重視するフィリピンの立場こそが、反「西側」の立場で、国際法を軽視する中国の立場が「西側」寄りとさえいえる。 いずれにせよ、フィリピン政府による沿岸警備隊を活用した情報開示は、まさに海洋における法の支配確立に向けた実践的な試みの一つである。シエラ・マドレ号補給をめぐる対立の経緯を正確に理解することは、南シナ海問題を超えて、海洋における法の支配の歴史を再確認することにつながる。南シナ海問題でフィリピンと協力することは、同盟国や有志国との連携強化ということに加え、海上における法の支配の促進という普遍的な目標とも真っすぐにつながっている。
注釈
(※1) 飯田将史「南シナ海で進む日米比の安保協力―中国の強硬姿勢に対抗」Nippon.com、2024年5月13日 (※2) 古谷健太郎「南シナ海における中国海警とフィリピン沿岸警備隊の衝突事件―フィリピンの対応と国際連携の重要性」笹川平和財団国際情報ネットワーク分析、2024年4月4日 (※3) 高木佑輔「新興国フィリピンの外交:対米関係の強化、地域外交の深化と国際主義外交の展開」『国際問題』714号、2023年8月、pp. 6-16. (※4) Marites Vitug.Rock Solid: How the Philippines Won Its Maritime Case against China (Quezon City: Ateneo de Manila University Press, 2018), pp. 234-235. (※5) Marites Vitug and Camille Elemia.Unrequited Love: Duterte’s China Embrace. (Quezon City: Ateneo de Manila University Press, 2024), p. 152. (※6) Paterno R. Esmaquel II “China chopper harasses PH rubber boat in Ayungin Shoal - lawmaker”Rappler. May 30, 2018. (※7) Raymond Powell and Benjamin Goirigolzarri. 2023. “Game Changer: The Philippines’ Assertive Transparency Campaign: How the Philippines Rewrote the Counter Gray Zone Playbook in 2023” Stratbase ADRi Publications (※8) 高木佑輔「フィリピンの対中外交―交錯する3つのアクターと3つの政策」竹中治堅(編)『「強国」中国と対峙するインド太平洋諸国』(千倉書房 2022年) (※9) Jay Tristan Tarriela.The Rise of the White Hulls in Southeast Asia: The Philippine Coast Guard Case. (Ph.D. dissertation, National Graduate Institute for Policy Studies (GRIPS), 2020), pp. 53-55. (※10) Yusuke Takagi. “Philippines-Japan Maritime Cooperation in the Quest for a Rules-Based International Order”Philippines - Japan Relations in the Twenty First Century: Change and Direction, edited by Dennis D. Trinidad and Karl Cheng Chua (London: Routledge, Forthcoming). (※11) 「沿岸警備隊を強化してともに安全な海をつくる―フィリピン」『JICA Magazine』2023. no. 13., p. 21. (※12) Tarriela,The Rise of the White Hulls. (※13) 高林秀雄『国連海洋法条約の成果と課題』(東信堂、1996年) (※14) Alturo Tolentino.Voice of Dissent (Phoenix Pub. House, 1990)