連戦連勝のモンゴル帝国はなぜ突然ヨーロッパ征服をやめたのか、ウィーンを征服目前
ジョチ・ウルス成立
バトゥ・ハーンはヨーロッパで征服した土地を放棄せず、ロシア南部のキプチャク草原にジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)というモンゴル国家を興した。 ジョチ・ウルスは後に、東欧のカルパチア山脈からシベリアまで版図を拡大することになる。バトゥはボルガ川下流のサライに首都を置いたが、その正確な位置については学者たちの間でいまだに論争がある。 ジョチ・ウルスは14世紀初頭にイスラム教を受け入れ、最盛期を迎えた。東欧、アジア、中東の諸民族からの貢ぎ物を集め、地中海貿易で富を築いたが、隆盛に陰りが見られるようになったきっかけは、1347年にヨーロッパで流行が始まることになる黒死病だった。 黒死病はジョチ・ウルスの統治能力を低下させた。1359年には内戦が勃発し、数十年にわたって混乱が続いた。政情不安、国家の分裂、国境紛争は、モンゴル人による支配を弱体化させ、それとともに地方勢力が支配権を取り戻していった。 モンゴル西征の名残はしだいに薄れ、ジョチ・ウルスは1502年に滅亡した。
文=Antonio García Espada/訳=三枝小夜子