「W杯に出られなかった経験を…」“日本代表から消えたFW”がドイツで5ゴール、町野修斗が語る“企業秘密”の強み「日本のために蹴れるなら」
キール加入早々からPKキッカーを任されていた
たかが、PK。されどPKである。 日本はW杯で経験した2度のPK戦ではいずれも勝てなかった。一方で町野が日本代表に加わる日が再び来れば、重要ピースとなりうる。今シーズンのブンデスリーガで得点ランキング上位につけている話は第3回に譲るとして、彼は“PKでも”頼りになる選手だからだ。 ホルシュタイン・キールに加入して2年目となる今シーズン、町野はチームのPKキッカーを務めている。9月29日、フランクフルト戦のPKもしっかり決めた。キッカーを任されているのは、試合はもちろん練習でもPKを決め続けてきたからだ。 ブンデスリーガの舞台でチームや監督から指名されて、試合中のPKキッカーとなった経験があるのは、長谷部誠と鎌田大地、ビーレフェルト時代の堂安律しかいない(堂安は出場時にPKの機会がなく、蹴ることはなかった)。積み上げてきたものがあるから、現在の町野がPKを任されるのは、ある意味で当然だ。 しかし、である。 それとは別に、興味深い事実がある。加入初年度となる昨シーズン、チーム加入早々のタイミングでもPKを任されていた。 第2節グロイター・フュルト戦でのこと。町野がPKを蹴ったのは、本来のキッカーだったスティーブン・スクリプスキが交代でベンチに下がっていたという事情はあった。とはいえ、加入後いきなりPKを蹴るチャンスを手にするのは珍しい。
「アイ・ネバー・ミステイク!」
一体、何故だったのか。 「『自分はPKを外したことない』ということをずっとアピールしていたからだと思います」 町野は振り返る。加入して間もない時期で、英語もドイツ語もおぼつかなかった。にもかかわらず、当時から必死にアピールしていた。 「アイ・ネバー・ミステイク!」 大事なのは文法ではない。想いだ。 マルセル・ラップ監督に選定の理由について聞いたことはないが、気持ちが伝わったからこそのPKだったのかもしれないと町野は考えている。 こうしたアピールは覚悟と強い想いができないし、それは成長の糧になる。例えば、2度にわたって代表に長期間呼ばれない時期がありながら、返り咲き、現在は欠かせない存在となっている南野拓実なども、若い頃にはそうしたアピールをしっかり出来る選手だった。
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