32歳での海外移籍。長澤和輝の心を動かしたのは「シンプルにいえば…」背中を押してくれたベガルタ仙台への感謝【コラム】
⚫️「チームが分裂してしまうのでは…」
しかし、左膝に重傷を負った影響で、2014-15シーズン以降の公式戦出場がわずか14試合にとどまっていた2015年12月に浦和へ完全移籍。体力とゲーム勘を取り戻すために、2016シーズンに千葉へ期限付き移籍した長澤は、累積警告による出場停止だった1試合を除くリーグ戦41試合に出場して復活した。 迎えた2017シーズン。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとで出場機会をえられなかった長澤は、堀孝史監督に代わった夏場以降に台頭。浦和の2度目のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇に貢献した強度の高いプレーが、当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督の目にも留まって日本代表でもデビューした。 浦和での4シーズンでリーグ戦92試合を含めて公式戦128試合に出場した長澤は、2021シーズンからは名古屋へ移籍。右膝に負った重傷で一時は登録が抹消される苦難の時期を乗り越え、復活を果たした矢先の昨年8月には、浦和時代に自身を重用してくれた堀監督が指揮を執る仙台へ移籍した。 「昨シーズンはなかなか勝てず、チームが分裂してしまうのではないか、と思った時期もありました。厳しい状況をなかなか変えられないまま、本当に苦しく、悔しいシーズンでした」 最終的に12勝12分け18敗の16位にあえいだ昨シーズンを、長澤は「何とか残留という、最低限の結果になりました」と位置づける。転機が訪れたのはシーズン終了後の11月下旬。年代別の日本代表で実績を残してきた森山佳郎監督が就任して以降の仙台の軌跡と現在地を、長澤はこう振り返っている。
⚫️「大丈夫かな」不安もあった今シーズン
「選手が常に自分自身へ矢印を向けるように導いてくれるゴリさん(森山監督)と、一緒にできた日々は僕自身にとってもすごく幸せでした。若い選手を含めて、気持ちを見せながらみんなで戦うところにフォーカスして、サッカーそのものの内容も少しずつ作り上げるトライを重ねてきたなかで、1-0で粘り勝つ試合だけでなく、相手に先制された後に取り返す試合も多くなりました」 「シーズンの最初は『大丈夫かな』と思えた若手も試合で頼もしく活躍してくれて、彼らの姿を見るのを僕もうれしかったし、彼らよりも年齢が上の先輩としていい背中を見せられたら、という思いもモチベーションになって僕も頑張ってこられました」 鹿児島ユナイテッドを1-0で振り切り、今シーズン2度目の3連勝をマークした前節の時点で、13勝8分け6敗の4位。2021シーズンを最後に遠ざかっているJ1復帰へ向けて、いよいよ胸突き八丁の終盤戦に突入しようとしていた21日に、海外移籍を前提とした長澤の離脱が発表された。 長澤および仙台は明言していないものの、オーストラリアのAリーグへ越境参加している、隣国ニュージーランドのウェリントン・フェニックスからオファーが届いたと報じられている。長澤が言う。