イッセイ ミヤケ出身「QUIITO」香村茉友が大切にする“服作りの美学”
2024年秋冬シーズンにデビューしたウィメンズブランド「キイト(QUIITO)」。多摩美術大学を卒業後、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」で企画を担当した経歴を持つデザイナー 香村茉友がデビューコレクションで提案したのは、古着のリメイクだ。一見「イッセイ ミヤケ」とは違ったアプローチに感じられる「キイト」のクリエイションだが、そこには「イッセイ ミヤケ」で学んだ三宅一生のDNAがあった。香村が大切にする服作りの「美学」とは何か。本稿がインタビュー初対応となる香村に、ブランドの先に見据えるヴィジョンとともに訊く。 【画像】「QUIITO」デザイナー 香村茉友
多摩美卒、イッセイミヤケからフリーデザイナーへ 「キイト」誕生秘話
⎯⎯ファッションに興味を持ったきっかけを教えてください。 明確なきっかけというのはないのですが、祖父と母がデザイナーだったことが大きく影響しています。祖父は舞妓さんが着る着物の帯のデザイン、母はデイリーウェアのデザインをしていました。母は結婚してすぐに仕事を辞め、専業主婦になったので、直接働いている姿を見ることはありませんでしたが、私のピアノの演奏会があると衣装を手作りしてくれたりと、料理をするような感覚で服を作る人でした。身の回りに服を作る環境があったので、自然と私もファッションに興味を持つようになって。幼少期から紙を貼り合わせて体に巻き、服のようなものを作って遊んでいました。知らず知らずのうちにデザイナーを志すようになりましたね。 ⎯⎯高校卒業後は多摩美術大学に進学。他にも服飾系の学校はある中で同学を選んだ理由は? 祖父がテキスタイルデザインにも携わっていた影響で、私も服作りの前にテキスタイルデザインについて学びたくて。多摩美は美術大学なので、テキスタイルデザインの根幹であるアートについて専門的に学べる上、ファッションデザインのコースも用意されているので自分にぴったりだなと感じて進学を決めました。多摩美の受験方法として採用されている「デッサン」「色彩構成」が自分にとってはすごく楽しく感じられたので、勉強というより、好きなことをしている感覚でした。卒業して13年が経ちましたが、9月からは多摩美の非常勤講師として関わらせていただくことになり、違った形で母校に戻れることがとても楽しみです。 ⎯⎯大学時代にアートを学んだことは、今デザインの仕事をする上でどのように役立っていますか? 服作りに対する考え方の核として自分の中に息づいています。アートには正解がないですが、それは服作りも同じだなと考えていて。例えば、「袖は必ずしもここになくてもいい」とか「ステッチはここに入れなくてもいい」とか、固定観念に捉われない自由な発想をできるようになりました。自分にとってアートを学んだことはすごくプラスになったと感じています。 ⎯⎯大学卒業後は「イッセイ ミヤケ」に就職。進路として選んだ決め手は? ファッションデザインコースに進んだ大学3年生の時に教鞭をとっていた先生が「イッセイ ミヤケ」出身だったんです。その方にご指導いただく中で、先ほど話した「アートとファッションの共通点」に気付くことができたので、「この方が働いていた会社ってどんなところだろう」と思ったのが興味を持ったきっかけでした。4年生の時には、多摩美の卒業生で、当時「イッセイ ミヤケ」のクリエイティブディレクターを務めていた藤原大さんが講師として特別講義に来てくださりました。テキスタイルから服を作ることを得意としているという部分に自分と共通点を感じただけでなく、自由で遊び心のあるクリエイションを目の当たりにして感銘を受け、本格的に「イッセイ ミヤケ」を目指しました。 ⎯⎯3年働いた後、「イッセイ ミヤケ」を退職。しばらくフリーデザイナーとして働いていたと。 イッセイ ミヤケ時代は「ミー イッセイ ミヤケ(me ISSEY MIYAKE)」でテキスタイルを作る仕事からスタートし、服や雑貨のデザインなど、本当に色々なことを勉強させていただきました。当時はすぐにでもファッションデザイナーとして独立したいという想いがあったのですが、「一度外の世界を見てみたい」と思い、セレクトショップのオリジナルアイテムのデザイナーなど、イッセイ ミヤケとは違う環境でデザイナーを経験しました。キャリアを重ねるうちに段々と責任ある仕事も任せていただけるようになってきてやりがいも感じていたので、「このまま自分のブランドをやらず、ずっとフリーランスでもいいかな」と考えたこともありました。 ⎯⎯何がきっかけでそこからブランド立ち上げを決意したのでしょうか。 仕事で古着の卸倉庫に行くことがあったのですが、そこに売れ残った古着が山のように積み上げられていたんです。聞くと、それらの服は発展途上国に送られるか廃棄されることになると。発展途上国に送られても、現地に服は溢れかえっているので向こうで廃棄になる可能性もある。そういった現状があることは知識としてはなんとなく知っていましたが、実際に目の当たりにするとすごくショックで。山積みにされた服の中から数着を持ち帰って「どうしたらこの服たちがまた着られるようになるのか」と考えたのが「キイト」の始まりでした。そこから2~3年くらい解体して縫い合わせての試行錯誤を続けた頃に、ようやく自分なりの方向性が見えてきて、ある程度デザインのストックが溜まったタイミングでブランドデビューに踏み切りました。結局フリーに転身してからブランドデビューまで10年かかりましたね。