パリス・ヒルトンが語る「表現者」としての信念、女性のエンパワーメント、日本を愛する理由
いわゆるお騒がせセレブとして一世を風靡したY2Kを象徴するポップ・アイコンであり、リアリティTVスターの先駆けとなったパリス・ヒルトンが、さる9月にセカンド・アルバム『Infinite Icon』を発表。18年ぶりとなる音楽界への本格的な復帰を機に、貴重なインタビューが実現した。 【動画】パリス・ヒルトンが虐待経験を語ったドキュメンタリー映像 振り返ってみると、ミュージシャンとしての彼女のキャリアがスタートしたのは、 1stアルバム『Paris』を送り出した2006年のこと。以来ジャンル・クロッシングを先取りする完成度の高いポップソングを揃えた同作への評価は次世代のアーティストの間で高まり、Y2Kリバイバルも追い風となってパリスの名前を目にする機会が増えた上に、近年はオリヴィア・ロドリゴやヴァンパイア・ウィークエンドのライブに飛び入りするなどして話題を提供していた。それだけにカムバックのタイミングは絶妙で、アルバムの出来も上々。彼女の意欲を窺わせる。 そう、シーアをエグゼキュティヴ・プロデューサーに起用し、多数のゲストと作り上げた『Infinite Icon』では、この間精力的に取り組んでいたDJ活動を反映させて、フロア寄りのサウンドを志向。二児の母となった43歳のパリスは公私共に充実した現在の自身のポートレイトを、名声との付き合い方やメンタルヘルスなど様々なアングルから描き出している。思えば18年前は、“セレブのお遊び”として彼女の音楽活動を揶揄する声もあったものだが、2枚のアルバムを並べて聞けばひとりの女性のナウ&ゼンが鮮明に浮かび上がり、表現者としてのパリス・ヒルトンを改めて真剣に受け止めるべき時が来たのかもしれない。 * ―あなたが『Paris』を発表してから18年が経ちました。あのアルバムとそこに投影されていた当時の自分の姿は、現在のあなたの目にどう映りますか? パリス:『Paris』での私は、例えば楽しむことや遊びに出かけること、或いはラヴ、そして躊躇することなく自分らしく振る舞うことを、テーマとして取り上げました。だから当時の自分を率直に切り取っていたと言えますし、人生において私がどういう場所に立っていたかを物語っています。それでいて今でも人々に愛されているわけですから、非常にタイムレスな作品を作れたという点もうれしいですね。 ―確かに、リリース当時の『Paris』は賛否両論でしたが、その後キム・ペトラスやチャーリー XCXからレディー・ガガに至る後続のアーティストたちに賞賛され、シングル「Stars Are Blind」共々評価する声が高まりました。そうした評価の変化についてはどう感じていますか? パリス:リリースされた時点では、人々はまだまだ、ミュージシャンとしての私を真剣に受け止められなかったんだと思います。私は新しい領域へと踏み出し、自分の実力を証明しようと試みたわけですが、結果的に音楽そのものが時代を越えて生き延び、キムやチャーリーが『Stars Are Blind』は究極のポップソングだと言ってくれたりして、『Paris』はカルト的な名盤となって次世代のミュージシャンたちをインスパイアすることになりました。これは音楽を含むアート全般に言えることで、往々にして時間と共に作品の意味は深まり、評価はアップする。だから、私がリスペクトするアーティストたちが『Paris』を愛してくれているという事実は、まさにあのアルバムの先見性を証明していると思いますし、ポップ・ミュージックの歴史に居場所を確立できて、すごく光栄に感じています。 ―でも、その後のあなたは時折シングルを発表していたにも関わらず、こうして2ndアルバム『Infinite Icon』が完成するまでに随分長い時間を要しましたね。 パリス:ええ。私はしばらくの間ビジネス面にフォーカスして、自分のブランドと、私が経営する11:11メディア(※メディア・コンテンツ制作会社)を成長させることに力を注いでいましたからね。でも数年前にドキュメンタリー映画『This Is Paris』を製作して、自伝『PARIS The Memoir』(※2025年1月に日本版が刊行決定)を出版し、その一連のプロセスを通じて私がどういう人間なのか改めて掘り下げた結果、自分の中に表現したいことがたくさん蓄積されていると感じました。そして、以前よりいい形で音楽を介して自分のストーリーを伝え、さらに深いレベルでファンとコネクションを築けるのではないかと思ったんです。つまり、今の私の姿を率直に投影しているのが『Infinite Icon』なんです。