発達障害が治る子と治らない子、その違いはどこに…?発達障害にまつわる「嘘と本当」
どこが違うのか
さて、A君とB君はどこが違ったのであろうか。 元々の障害ということで言えば、自閉症であったB君のほうが明らかに重症である。ハンディキャップにもとづく学習の問題があることはA君もB君も一緒で、小学校年代に学習につまずき、小学校高学年には危機的になった点も同じである。A君は中学校進学に際して通常教育を選択し、B君は特殊教育を選択した。違いといえばこの一点である。その後の著しい違いを見たときに、たかだかこれだけの違いがなぜこのような差をもたらしたのか、驚かざるを得ない。 A君の医学的な診断は学習障害であるが、A君の適応の妨げとなったのは学習の問題もさることながら、それ以上に自己イメージの混乱や自信の欠如が大きな支障となったことは容易に理解できるところである。 しかもA君は、その後高校生になったときには、小学校中学年レベルの社会的自立に必要不可欠な基礎学力は身に付けていた。これは新聞を読むことが可能なレベルの国語力と買い物とお金の管理ができる程度の数学力である。それだけで大丈夫かって? われわれが日常生活でそれ以上を用いているであろうか。つまり学習障害そのものがA君の自立を妨げたのではない。 どこに混乱や選択の誤りがあったのか、この本を読んでゆけば次第に了解していただけるのではないかと思うが、冒頭に書いたいくつかの一般的な誤解の一部は、すでにこの事例を振り返っただけで、疑問符が付されることが明らかであるので、それだけはここで取り上げておきたい。 ・発達障害は一生治らないし、治療方法はない これがそもそも完全な誤りであることは、きちんと就労し、自分で買った自分の自動車で会社に通い、残業もこなし、税金をきちんと払っているB君を見れば分かるであろう。もちろん自閉症であるB君はいまだにハンディキャップはたくさんある。だがこれらのハンディキャップにもとづく、社会的な適応の障害は現在のところ見あたらないか、ごくわずかなまでに改善をしている。 ・発達障害児も普通の教育を受けるほうが幸福であり、また発達にも良い影響がある A君は極端な例であるかもしれない。だが明らかにA君の学校生活は、幸福とは言いがたいエピソードであふれている。ご両親はもちろんA君の不幸を願って学校選択をしたのではない。どの親が自分の子どもの不幸を願って選択を行うであろうか。だが結果として、A君の学校生活は胸が痛くなるまでにつらいものとなってしまった。これを学校の責任とする考え方もあるだろう。 だがどのような工夫をしてみても通常教育の場は、個別の学習対応には限界がある。通常教育とは、30人ないし40人の生徒に対して原則として一人の教師が、学習指導要領に沿ってカリキュラムをこなすという場である。ところが特殊教育を選択すれば、一挙に、容易に、個別的な対応が原則としては可能になる(ここで、原則としては、と保留を付けるのは、すべての特殊教育が個別の専門的な対応を行っているとは言いがたい現在の日本の状況があるからであるが、この問題は後に述べる)。 これは学習の問題のみを言っているのではない。問題は子どもの自己イメージに関わる。 あなたが、自分が参加しようとしても半分以上は理解できない学習の場にじっと居ることを求められたとしたらどのようになるだろう。また自分が努力しても成果が上がらない課題を与え続けられたらどのように感じるだろう。子どもにとってもっとも大切なものの一つは自尊感情である。子どもの自信をそしてやる気を失わせないことこそが重要なのだ。 ・通常学級から特殊学級に変わることはできるが、その逆はできない これは完全な噓である。私が継続的なフォローアップをしている子どもで、特殊学級から通常学級へという選択をした児童は多い。 多くの親は、また学校の教師も安易に、「通常学級でやってみてダメなら特殊に移せばよい」と言う。このアイデアは私は賛成できない。ダメだったときは自己尊厳を著しく傷つけてしまい、子どもはぼろぼろになっているからである。人生の早期に子どもに挫折体験を与えて良いことは一つもない。 通常学級に在籍して特殊学級に出かける(これを一般に通級という)のは、特殊学級の担任にとって員数外の負担が増えるという理由から現在でも困難が多いのに対して、特殊学級に在籍をして参加可能な科目は通常学級に出かける(これを一般に交流という)ことに関しては支障が少ない。交流を利用して参加が可能なものは出かけていき、すべての科目が参加可能になったらその時点で通常クラスに移行するということは、しばしば実践されている。 だが問題は何のために通常学級に行くのかということである。中学校2年生で通常学級にもどり、そのまま通常高校を卒業し、一般企業に就労をした高機能自閉症の青年がいるが、就労をした会社で主として対人関係の問題から2年弱で失職をしてしまった。 その後の再就職はなかなか困難があり、結局、障害者職業センター経由で障害者雇用の枠を用いて再就職を果たしたのであるが、こうなってみると、無理に健常者として就職をするよりも、ハンディキャップの存在を会社側に知らせた上で就労先を探し、就職をしていればもっと安定した就労が最初から可能であったのではないかと悔やまれるのである。 ・養護学校卒業というキャリアは、就労に際しては著しく不利に働く これがどうもそうではないらしいことは、先のB君の事例を見れば了解いただけたと思う。養護学校のほうが、就労を巡るビフォア・アフターケアがむしろ手厚く、企業間との話し合いも緻密であり、何よりも企業サイドもきちんと働ける障害者を求めている。また現在、障害者職業センターが就労に際してはジョブコーチを派遣してくれるようになっている。このような就職に際しての手厚いケアは、通常教育では望むことが困難である。 実はB君の同級生に知的にはもう少し高く、通常高校を卒業後、地元の会社に就職したC君という青年がいるのであるが、給料もボーナスも、大企業に就労したB君のほうが一貫して高収入で、夏休みをはじめとする休暇も多かったのである。 ※本書で取り上げられている事例は、公表に関してはご家族とご本人に許可を得ていますが、匿名性を守るため、大幅な変更を加えています。
杉山 登志郎