ついに「ディーノ246GTS」が1億円を超えた! フェラーリの名がつかない跳ね馬…しかしエンツォの想いが込められたクルマとは
フェラーリ初の量産V6エンジンを搭載
そこでエンツォは一計を案じ、フィアットと契約して年間500台のエンジンを量産し、それをフィアットのGTモデルに搭載するという奇策に打って出る。こうして誕生したのが「ファット ディーノ」。そして同時に誕生するのがディーノ「206GT」である。アルフレードが関与した最初期の65° V6エンジンは、ヴィットリオ・ヤーノによって60° V6に変更されていたが、2Lのアルミ製DOHCエンジンはアルフレードのアイデアが息づいていた。 ご存じの通り、完成したディーノ206GTにはフェラーリの名はない。しかし、紛れもなくフェラーリであり、フェラーリ初の量産V6エンジンを搭載。しかもラック&ピニオンのステアリングも採用されていた。美しいボディはピニンファリーナによるもので、ルイジ・キネッティが主宰するキネッティ・モータースの元マネージャーであり、スタンダードカタログ・オブ・フェラーリの著者であるマイク・コヴェッロはフェラーリのカタログには次のように記している。 「これほど曲線的な形状のストリート・フェラーリを他に挙げるのは難しいでしょう。豪華さに欠ける部分は、優れたドライバーが必要とする適切なツールで十分に補われています。車両重量のほとんどが後輪上にあるため、ステアリングはダイレクトで応答性に優れています。ディーノ246はハードコーナリングを楽しめます。ミッドエンジンレイアウトとサスペンションの適切なセッティングにより、ディーノはドライビングが楽しめるのです」
定期的なメンテナンスが施された1台
カナダで登録されている、シャシーナンバー07730、エンジンナンバー11855、ギアボックスナンバー2912のディーノ246GTSは、ボディを含めいずれもナンバーマッチしており、2019年にフェラーリ・クラシケに認定されている。2.4Lエンジンを積みルーフが取り外し可能な246GTSはシリーズIIIとなった1972年以降1974年まで製造されたもので、シャシーナンバー07730は最終年の1974年1月に完成し、アメリカ向けモデルとしてマイル表示のメーター、パワーウインドウ、エアコンが装備されている。 アメリカではキネッティ・ガースウェイトによってディストリビュートされ、イリノイ州レイクフォレストのクナウズ・コンチネンタル・オート社に割り当てられたこのクルマは、ノースカロライナ州アッシュビルのブルナー・アンド・レイ社に新車として販売された。 その後10年間で、さらに2人のオーナーを経て、1984年にイリノイ州ジョリエットの著名なコレクターである、ビル・ジェイコブス氏に買い取られた。その時点では、走行距離は700マイル未満だったと言う。しかし、ジェイコブス氏はすぐにこのクルマをシカゴのマイケル・レベンサル氏に売却。そして彼が35年の長きにわたりこの車を所有し続けたのである。 クルマに付随する書類は保証書に始まり、1985年までのサービス請求書、フェラーリ・ブランドのエキスパートであるマルセル・マッシニによる履歴レポートなどがある。そしてレベンサル氏はディーノを約10年間保管した後、再びデイリーユースとし、その後は定期的に整備しながらあまりドライブしなかった。記録された走行距離が徐々に増えていくことから6597マイル(1万616km)という走行距離はオリジナルのものであると考えられる。
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