死後も人の魂は残る?死は人生の総決算?科学、哲学、宗教でどう捉えられてきたかというと…宗教学者が説く<教養としての死生観>
◆物理主義と二元論 科学や哲学など世俗の学問の世界では、死はどのようなものだと考えられているのだろうか。 科学の基本的モデルは物理学などに代表される自然科学だ。一般的に言って自然科学者は、実在を物質的なものだと捉えている。 すなわち、宇宙は時空間を占める物理的実在でできている。精神現象心や意識や記憶や思考や感情は、物理的身体の機能である。 つまり、精神現象は物理的身体から独立した実在ではないので、死んで身体が崩壊すれば、そのときに精神現象は消失する。 燃えるものが無くなったら火は消える。それと同じだ。 死についての哲学的講義録で有名なシェリー・ケーガンは、こうした《物理主義》的な見方を確定された事実と考えてはいないものの、しかし、今のところこれが最も一貫性のある、 最も確からしい見方だとしている。 絶対ではないが最も説得力がある、というのである(『「死」とは何か』)。たいていの自然科学者も、多くの哲学者も、たぶんこれに同意すると思われる。
◆身体と精神の二つを対等の実在と考える霊肉二元論 この《物理主義》と対立する立場は、《二元論》と呼ばれる。身体と精神(心、魂)の二つを対等の実在と考える霊肉二元論である。 こちらの立場をとるならば、人間は死んでも<つまり物理的身体が朽ち果てても>精神ないし心の部分が一種独特な実在として生き続ける可能性がある。 身体から着脱可能な精神・心の座は「霊魂」と呼ばれる。表現は「霊」でも「魂」でもいい。《二元論》は、伝統的な宗教の立場だ。 仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教といった古典的なビッグネームの宗教に限らず、多くの宗教伝統、民間信仰、新宗教では、人間 を超えた存在として「神仏」のようなものを想定すると同時に、人間の本質部分として「霊魂」のようなものを想定している。 こうした宗教的人間観によれば、人間を構成する霊魂と身体がくっついた状態がいわゆる「生」であり、この二つが離れた上に身体のほうが消えてしまった状態が「死」なのである。 「死」と呼ばれつつも霊魂は消失していないので、死は一種の「生」である。冥界や天国などにおける生、もしくは再びこの世に転生する生である。 ※本稿は『死とは何か-宗教が挑んできた人生最後の謎』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
中村圭志
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