新幹線開業60年(2)「絶対安全」が生んだ「交通革命」
万博機に利用が拡大
最後に東海道新幹線が国家的イベントの成功に大いに貢献した話を紹介したい。1970(昭和45)年3月15日から同年9月13日まで、大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会(以下万博)である。会期中に6422万人を集めた巨大イベントの成功は、充実した内容、関西の持っていたポテンシャルによるものだったことはもちろんだが、人々の大規模移動を可能にした新幹線も成功の一翼を担った。 万博を訪れる全国、特に首都圏の人たちの交通手段として活用されただけではない。世界に日本を発信した万博を機に、新幹線に乗ってみたいと考える人たちが、国内のみならず海外でも増えたのだ。 東海道新幹線を利用した万博入場者は70年8月にピークに達し、1日35万~37万人に上った。新型コロナ禍直前の東海道新幹線の利用者数が1日平均47万人であったことを考えると、いかに多かったかがわかる。当時、新幹線は「動くもう一つの万博パビリオン」と呼ばれた。万博を体験した人々はその思い出とともに、東海道新幹線での快適な旅を人々に伝え、万博以降は新幹線を利用することが当たり前となった。 新幹線がもたらした「交通革命」は、日本人の暮らしそのものを大きく変えたのである。
【Profile】
梅原 淳 鉄道ジャーナリスト。1965年生まれ。三井銀行(現・三井住友銀行)、月刊「鉄道ファン」編集部を経て2000年に独立。主な著書に『新幹線を運行する技術』『新幹線の科学』(ともにSBクリエイティブ)、『JR貨物の魅力を探る本』(河出書房新社)など。福岡市地下鉄経営戦略懇話会委員。