まさかの期待ハズレ…。海外クラブを“失望”させた日本人選手6人。即戦力どころか影が薄かった男たち
MF:宇佐美貴史(うさみ・たかし)
生年月日:1992年5月6日 移籍失敗に終わったクラブ:バイエルン・ミュンヘン(ドイツ) 在籍期間:2011年7月15日~2012年6月30日 通算リーグ戦成績:3試合0ゴール0アシスト ガンバ大阪下部組織の「史上最高傑作」とまで言われた男でも、ドイツの覇者バイエルン・ミュンヘンで定位置を獲得することは叶わなかった。 2011年に19歳という若さでドイツへ渡った宇佐美貴史は、すでにチャンスメーカーに必要な能力を高いレベルで兼ね備えていた。11/12シーズン開幕前に行われたプレシーズンマッチ(アウディカップ決勝)、バルセロナ戦に先発出場した同選手は、巧みなボールコントロールや絶妙なスルーパスを披露。移籍後すぐにその才能の片鱗を見せた。 だが、ポジションを争うライバルたちは皆ワールドクラス。同選手が素晴らしいテクニックを持っていることは誰も疑っていなかったはずだが、欧州屈指のビッグクラブで出場機会を確保することは難しい。第2節・ヴォルフスブルク戦で途中出場からブンデスリーガデビューを飾ったが、それ以降はベンチ、またはベンチ外の試合が続き、最終的にリーグ戦は3試合の出場のみ。クラブが完全移籍オプションを行使しなかったことで、宇佐美はわずか1年で退団することになった。その後はG大阪復帰を経てドイツのクラブを渡り歩き、2019年にG大阪へ3度目の復帰を果たすと、現在まで青黒のユニフォームを着てJリーグでプレーしている。 同選手にとってバイエルンへの挑戦は失敗に終わったかもしれないが、その短い期間で日本人としてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)史上最年少出場、初めて決勝でベンチ入りという貴重な経験を積んでいる。トップレベルの舞台で得た経験は現在も活かされているはずだ。
FW:柳沢敦(やなぎさわ・あつし)
生年月日:1977年5月27日 移籍失敗に終わったクラブ:サンプドリア(イタリア) 在籍期間:2003年7月1日~2005年7月1日※他クラブへのローン期間含む 通算リーグ戦成績:15試合0ゴール1アシスト 高校卒業後の1996年に鹿島アントラーズに加入した柳沢敦は、1998シーズンに22得点を決めるなどゴールを量産した。1998年には日本代表デビューを果たすと、2000年に行われたシドニーオリンピック(五輪)ではベスト8進出に貢献し、2001年には日本年間最優秀選手賞を受賞。国内最高の選手という評価を受けた同選手は、日韓W杯に臨む23人に選出され、日本初のベスト16進出に貢献した。 プロデビューから目覚ましい活躍を続けていたが、海外では苦戦を強いられることとなった。2003年7月にイタリアの古豪サンプドリアに移籍を果たしたが、同クラブでは公式戦18試合に出場するも無得点。シーズン終盤には、低調なパフォーマンスから練習場においてサポーターから罵声を浴びせられることもあったそうだ。当然、クラブに残ることは難しくなり、2004年7月にメッシーナにレンタル移籍に出された。 しかし、クラブが変わっても結果はほとんど出すことが出来なかった。2004年8月に行われたコッパ・イタリア(国内カップ)のアシレアーレ戦でイタリアでの公式戦初ゴールを決めたが、在籍期間中に決めたのはこの1点のみ。慣れないウイングや2列目での起用に応えることができず、2006年2月、期限付き移籍で鹿島に復帰。イタリアでのプレーは3年弱で幕を閉じた。
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