まさかの期待ハズレ…。海外クラブを“失望”させた日本人選手6人。即戦力どころか影が薄かった男たち
FW:武藤嘉紀(むとう・よしのり)
生年月日:1992年7月15日 移籍失敗に終わったクラブ:ニューカッスル・ユナイテッド(イングランド) 在籍期間:2018年8月2日~2021年8月7日 ※他クラブへのローン期間含む 通算リーグ戦成績:25試合1ゴール0アシスト 2018年の夏、当時マインツ(ドイツ)に所属していた武藤嘉紀はプレミアリーグに挑戦することを決断した。 移籍先として選んだクラブは、古豪ニューカッスル・ユナイテッド。チームを率いるラファエル・ベニテス監督が「自らの進退をかけてまで(武藤の獲得を)希望した」(『Sky Sports』)とされ、大きな期待を受けての加入となった。1年目となる18/19シーズンは、開幕節のトッテナム戦で途中出場しプレミアリーグデビューを果たすと、リーグ初先発となった第8節マンチェスター・ユナイテッド戦で嬉しい初ゴールを記録。ターンしてから正確なシュートを放ち、ユナイテッドのGKダビド・デ・ヘアの牙城を崩した。 このまま一気に主力選手の地位まで上り詰めていくと思われたが、これが同選手のニューカッスル時代のピークだった。2年目の19/20シーズンは、度重なる負傷離脱と監督交代の煽りを受けて出場機会が激減。新たに就任したスティーブ・ブルース監督がロングボール戦術を採用したことにより、身長177cmとターゲットになれない同選手は居場所を失ってしまう。最終的にこのシーズンはリーグ戦無得点に終わり、シーズン終了をもってエイバル(スペイン)への1年間のレンタル移籍が決まった。 エイバルでの1年間を経てニューカッスルに戻った2021年夏、武藤はヴィッセル神戸への移籍を決めた。そこからはご存じの人も多いだろう。大迫勇也と共に神戸の攻撃陣を牽引し、今季はJ1 連覇を成し遂げている。
MF:名波浩(ななみ・ひろし)
生年月日:1972年11月28日 移籍失敗に終わったクラブ:ヴェネツィア(イタリア) 在籍期間:1998年7月1日~1999年12月31日 通算リーグ戦成績:24試合1ゴール3アシスト 左利きのプレーメイカーとして名を馳せた名波浩だが、イタリアの地では輝くことが出来なかった。 1995年に大卒でジュビロ磐田に加入した同選手は、その年に日本代表デビュー。ラモス瑠偉から背番号10を引き継いだ。1998年のFIFAワールドカップ(W杯)・フランス大会では中盤の主力として全試合に出場し、大会後にセリエAに所属していたヴェネツィアにレンタル移籍することが決まった。 ヴェネツィアは同選手が加入する前のシーズン、アルバロ・レコバの大活躍によってセリエA残留を決めていた。しかし、ウルグアイ代表MFはインテルからのレンタルで加入しており、その大活躍を受けてインテルに復帰。同クラブは代わりとなる攻撃的MFを求めており、白羽の矢が立ったのが名波だった。 しかしながら、同選手はクラブの期待に応えることが出来ない。記録上はリーグ戦24試合出場となっているがフル出場は少なく、守備の国イタリアが自慢とする素早い寄せを前に同選手の優れた展開力は発揮されず。磐田や日本代表でのように自らが司令塔として攻撃のタクトを振るう姿はヴェネツィアでは見られなかった。 レコバはリーグ戦19試合で10ゴール10アシストという驚異的なパフォーマンスを見せていただけに、1ゴールしか決められなかった名波が前任者の穴埋めができたとは言い難いだろう。最終的にチームは16位に沈み、セリエBに降格。チームの救世主にはなれずに磐田に復帰している。