【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(2)
根室空襲が見えた
―終戦はいつ、どこで知りましたか? 終戦は8月15日だよね。 私たちの集落から、根室まで直線距離でね、120キロぐらいあんですよ。だけど、1カ月前のね、7月14、15日、根室は空襲に遭うんですよ。それでね、燃えてるその煙がね、バーっとこう立ってるのが見えたんですよ。だから、みんなで、ああ、根室やられたなあっていうことでね。島にはね、爆弾落とされてないんですよ、1発もね。だけど、私たちも防空壕掘って、そこで夜過ごしたことあるんですよ。だから、危険は感じてたけど。島に日本の兵隊が、私の記憶では300人ぐらい兵隊が駐留してたんだね。たまたま、その隊長とか寄って、一服して、お茶飲んで行った記憶はありますから。 その8月15日かい、無条件降伏しましたんで、武装解除をして、日本の兵隊は、シベリアへ連れて行かれたんだね。だから、8月15日からちょっと経って、何日かで日本の兵隊がいないんですよ、国後には。だけど、ロシア兵が上陸してきたのは9月1日なんですよ。それね、今でも覚えてますけど、天気いい日でね、午前中ですね、大きな戦艦が沖にとまって、上陸艇がバーっと、こうやって陸に目がけて走ってきたんですね。 たしか、日本の兵隊はいないはずなのに、どこの兵隊なんだろうっていう。初め見てたんですけどね、どうも日本ではないぞっていうことで、私たちは逃げようっていうことで、子供たちで裏山に逃げたんですよ。その裏山から見てたら、外国の兵隊だっていうことがわかったんですけどね。それはロシア兵っていう記憶は、いや、わかんなかったんだ、どこかね。アメリカ兵かもしれないし。 夜なったんで、真っ暗な中ね、そーっとおりてきてね、そして裏口から入って、2階に隠れたんですよ。そして、次の日、窓から外見てね、ロシア兵っていううわさの外国の兵隊の様子を見てたら、特に母親とかばあさんは下にいてね、言葉わかんないけど、対応してて。やっぱりロシア兵、その兵隊は日本の男の人を恐ろしがってたんだね、と思うよ、今振り返るとね。隠れていないか、土足で入ってね、部屋ん中を、うちん中を調べてましたね。 だけど、そのばあさんや母親に乱暴なことをするっていうこともないし、これ大変、何でもないんでないかっていうことで、私たちも2階から降りてって、ロシア兵のそばまで行ったんですね。そのころは、2週間ぐらい滞在したと思います。駐留したと思うね。隣が学校で、私のところは納屋があったんで、そこにね泊まってましたね。 ロシア兵はジャガイモを掘ってね、塩煮するんですよ。ジャガイモは好きなんですよね、あれ、ロシア人ってね。9月1日っていうと、大体芋はなってるんだけど、芋はね、つくってたんです、相当広くね。あれ砂地にはね、合うんですね、ジャガイモはね。ただね、茹でるんだけど、食べれないです、日本人は。どうしてかわかりますか。 ―わかりません。 わかんないでしょ。しょっぱいんです。ものすごい塩入れんです。もう半端なからさでないですね。だから、茹でた芋を私ももらったんだけど、とってもしょっぱくて食えない。それで、あと、ニシンの缶詰だね、ああいう油っこい。ああいうのをね、好むんですよ、ロシアの人はね。それから、ウォッカとか、そういう酒、きついでしょ。酒と、油っこいものと、しょっぱいの、これ体によくないでしょう。ね、日本でいうと、血圧上がるし、ね、血はドロドロになるでしょ。だから、ロシアの人って平均寿命短いっていうのは、何かそういう食生活にあるんでねえかなと思いますよ。 そしてね、ロシア兵が移動した後ね、学校に行ってみたんだ。食べたものが残ってるの。何が残ってるかっていうと、黒パンと白パンと、バターだね、これがね、その机の上とかにね、残ってたの。初めは、初めて見るからね、何だろうなと思って、多分食べ物だろうっていうことで、食べてみたんですけど、黒パンは酸っぱくてね、何かうまくなかった。だけど、白パンっていうのはね、それにバターをつけて食べてみたら、もうすごくうまいのね。ああ、こんなうまいものあるのかということで。