【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(2)
お菓子をくれた兵士
あとね、ロシア兵はね、子供をかわいがってくれたんですよ、マーレンケ、マーレンケっちゅうてね、すごく。日本の兵隊から、残してったお菓子をくれたんですよ。乾パンと金平糖、あれが混ざったようなお菓子をね、くれたんで、私たちもね、またなくなると、ダバイドアイっていう。「頂戴」っていうのね。そういう言葉はすぐ覚えるんですよ。それで、よく、ロシア兵の後ろをついてってね、ねだったもんですよ。
―比較的穏やかだった? 結局、もう日本兵はいないし、ね、戦う必要ないんだから、ロシア兵だってのんきなもんでしょ。ただ調べに来ただけだから、殺気立ってないからね、自分たちの領土になるんだっていうか、占領するんだっていう、そういう。 これ、国後とか、択捉に、択捉、国後、あと、色丹とか行った兵隊は樺太から来てんですよね。その占守島で戦った兵隊はね、ずっと。占守島ではすごい戦いがあったの、8月18日ね、もう戦争は終わってるのに攻めてきたんだから。だから、初めはその占守島に、守備隊っていうか、日本の兵隊がいたんだけど、それはもう戦争終わって武装解除している状態のときに攻めてきたんだから。だけどね、ロシア人は3,000人ぐらい死んでんだよね。日本兵は700人ぐらいなんですよ、亡くなってる。どうしてそんなに差が出たのか。ね、突然、もうこっち解除してんのに、霧のある夜攻めてきているのに、そこがね、やっぱり絶対攻めたほうが有利なのに、圧倒的に、ロシア兵の兵隊が多いんですよ、死んだ人ね。これは歴史上、そういう事実はね、はっきりしてんですよね。 何か、それがどうも納得できないんだよね。結局、それだけ犠牲にして、島を戦ったんだよっていう、その背後にヤルタ協定っていうのあって、攻めて、戦ったら、ロシアの領土にするよっていう裏約束があったっしょ。だから、15日、もう戦争が終わってるっていうのに攻めてきたっていうのは、それを領土にしようっていう、そういうことだと思うよ。戦おうなんて言わなかったから、自分の領土になんないから、結局、8月15日が終わってるんだけど、領土にするためにさらに攻めてきたと、そういうことだと思うよ。 ―島にいた日本兵300人ぐらいはいついなくなったのですか? それがね、8月15に終戦でしょ。で、武装解除して、それで、300人ぐらいの頭、集まったところ、急にいなくなったんだよ。だから、いつっていう日にちははっきりしないけど、8月15日から間もなくだと思いますよ。シベリアに向かってね、60万人って言われてるでしょ。満州、樺太、そこの全部の日本兵が集められて、シベリアに集められたんだからね。その約1割が亡くなっているっていうことでね。