【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(2)
―友だちはすぐできましたか? いや、それでね、もう70年もたっているもんですからね、顔が思い出せねえのね。2年3年と一緒に生活、学校へね、一緒に学んだんだけど。ただね、「四島(しま)の会」ってあんですよ。島で生活した人が集まってね、年に1回だね、集まって、昔の話をみんなで語り合おうっていう。ちょっと前にあったんですよ、10月のね、21日にね。 ―今でも毎年? はい。2泊3日なんですよ。それをね、一杯飲みながら昔を振り返るっていう、そういう催し。 でね、今回、同級生に会ったんですよ。いろいろ話してたら、同級生っていう。特に覚えててびっくりしたのは、小学校3年のときだったと思うんですけど、遠足で、みんなに行ったときにね、そのころはね、熊は少なかったんですよ。だけど、みんなで遠足行って、山のほうに、内陸のほうに入っていったときに、途中で親子熊に出会ったんですよ。親子熊って、これ危ないからね。結局。 それで、先頭の、僕たち3年生だから中ころに歩ってたと思うんですけど、先頭が6年生だったと思うんだけど、その先頭の人がね、真っ青なって、みんなでこっち。引き返して逃げてきたんですね。それで、「熊だー」っていうことで、みんなで逃げた。それちゃんとね、その人が覚えてたんですね。 あと、担任はね、女の先生だったんですね。そういうこととか、それから、ロシア人が、ロシア兵が入ってきたっていう記憶もおってたんでね、すごく70年ぶりに同級生だっていうことわかってね、すごく懐かしくてね。 ―佐藤さんもその熊の記憶はありますか? 覚えてますね。どのぐらいかね、100メートルぐらい(先)かね、真っ黒い熊がね、見えたんで。今は白い熊多いんですよね、白っぽい。 やっぱり国後で思い出っていうと、釣り、川がすぐそばにありましたから釣りもよくやりましたけど、熊には出会ったっていうことはないんですよね。あと、冬はね、スキーですよ。スキーはね、すぐうちの裏が坂なんですよ。そこでスキーをやったっていう。ほんとはてっぺんから滑りたかった、小学校3年生ぐらいったらね、まだ中くらいのとっからでないと滑れないの、結構高い山だったのね。猪谷選手って、何か銀メダル取った。あの人も国後出身なはずなのね。そういう、やっぱりスキーをやったんだと思うよ。