「アラフィフ同窓会」で驚いたこと。アラサーの時とは違い、感慨深い!
大人になってから感じる「いい先生」は違う
それでいうと、30代の時、一度、同窓会があったんです。その時はゲストとして、理科の先生が来てくれ、「みんなに返し忘れていたものがある」といって、みんなの生徒手帳の写真を持ってきてくださったんです。 卒業して15年以上経っていたのですが、先生は捨てずに、ずっと持っていてくれたことに驚いたし、「それほどまで“生徒思いの先生”だったのだ」ということに、そのときになって初めて気づいたのです(苦笑)。 学生だった時は、ちょっと見た目や雰囲気が変わった先生だったので、距離を空けて関わっていたところがあったのですが、「生徒の時に思ういい先生と、大人になってから感じるいい先生は違うものだなぁ」と思ったものでした。 同じクラスで学んできたクラスメートたちは、アラフィフの今、色々な職業に就いていたり、結婚している人もいれば、独身の人もいたりと、それぞれ別の道を歩んでいました。 だからこそ、「人生とは何か」についても、感じたところがありました。次のページに続きます。
アラフィフは“素質の種”が開花した結果
高校のクラスメートたちは、アラフィフの今、学校の先生、公的機関の秘書、専業主婦、キャリアウーマンなど、さまざまな道を進んでいました。 意外と、「あなたにぴったりの道を進んでいるね」と思う人が多かったんです。なんというか、今の姿は、「高校生の時から持っていた “素質の種”が開花した結果」のような気がして、感慨深いものがありました。 もう1つ感じたのは、やはり「人生は選択の連続」だということ。 18歳までの環境は同じでも、“自分なりの選択”をし続けた結果、みんなそれぞれ、自分らしい人生になっていったのですよね。 これからも“人生の選択”は続きます。「自分は何を選ぶのか」が大切なのですよね。
ここまで生き延びてきた私たち
アラフィフにもなれば、みんなそれぞれ、色々なことがあったことでしょう。もちろん私も(苦笑)。 でも、みんなそれぞれ、自分なりにがんばって、ここまで生きてきて(生き延びてきて)、今、この同窓会に参加しているのだと思うと、参加者全員に「尊さ」すら、感じました。 アラフィフって、寿命が尽きるには早い年齢ではあるけど、生きているのが当たり前の年齢でもないですしね。 「次は60歳のときに同窓会をやろう!」なんて話も出ていますが、それまでどうか、みなさんお元気で。私もがんばって生き延び、また再会できることを楽しみにしたいと思います。
コラムニスト・ひかり