「棚橋さんからは”新日本プロレスの寮母さん”と言われたことがあります(笑)」坂井澄江、アメリカ遠征の選手たちをサポートするようになったきっかけは?
「その当時は6人で、一か月くらい住んでましたね(笑)」
元吉本女子プロレスJd所属で、現在はアメリカ在住のフリーランスで活動をしている坂井澄江。 【動画】メキシコ遠征での坂井澄江と駿河メイによるダブルの619 スパーク女子プロレス&カラーズ合同興行(6月5日)で一時帰国を果たした。いまは選手としてだけでなく、アメリカ遠征をする日本人選手のサポート役としても活躍中だ。その坂井にアメリカへ行くきっかけや、様々な選手とのかかわりについて聞いてみた。 ■インタビュー前編 ――まず、坂井選手と言えば、結構、いろんな日本人選手がアメリカへ言った際、ご自宅にと泊められたり、お世話しているのをそれらの選手のSNSで拝見したりします。そもそもサポートするようになったきっかけは何だったんですか? 坂井 日本人選手に限らずなんですけど、よくいろんな方がウチに来られますね。タイガー服部さんから「色々な新日本プロレスの選手がくるから」という話が出たのがきっかけですね。 ――それでアメリカに行った選手は坂井さんのことを頼りにするようになっていったんですね。 坂井 2年半くらい前のことなんですけど、ビックリする話があって、ドラゴンゲートの子から、私のあらゆるSNSにいっぱいメッセージが来ていたんですよ。「ドラゴンゲートの何々と言います。オーランドに日曜日から行くんですけど、1か月くらいですけど、泊る所がなくて…」と書いてあって。それで、誰かまずわからないし、どうしていいかもわからない。でも、私が最初、アメリカへ行ったとき、一人で大変だったし、住むところとか大変な時があったんで。それに「この子、もし私が返事しなかったらどうすんの?」という心配もあって、知らないふりはできないなって思って。「アテもなく来ることにしたの?」って返事したら、「泊まる予定だったところが土壇場で『アナタの来るところがなくなったんです』ってなったんです」って。でも、私もフロリダに引っ越したばかりだから、そんなに周りに知り合いもいなかったんですよ。 ――面識のない方である一方、過去の経験からもっ放っておけないという状況になったわけですね。 坂井 それで、自分は戸澤(陽)さんと仲良くさせていただいていまして。 ――元ドラゴンゲートですしね。 坂井 戸澤さんが会ったことがあったり、知っている人だったら、泊めてあげようかなと思って、ウチの旦那に相談したら、「そんなのかわいそうじゃん。もし、戸澤さんが知っていたら泊めてあげようよ」と言ってくれて。でも、全然知らない子だから、家賃をちょっとだけもらおうよっていうことになって。アメリカにはルームメイトっていう制度があって、向こうもお金を払っているから気兼ねなく住めるし、私たちもお金をもらっているから居てもらっていいんじゃないかってなるし。それで戸澤さんに聞いたら、「ああ、道場へ行ったときに見たことがありますよ、面識はありますよ」って言われたんで、じゃあ泊めてあげようってなって。 申し訳ないんですけど、マスクがないときの写真をもらうか、「私、素顔なんで(笑)、声掛けてくれる?」って言って無事に会うことができました。ちょうどその時に、元ドラゴンゲートだった子なんですけど、SB KENToさんもオーランドに来ることがあったんで、「ちょうどいいよー。おいで―」って呼んであげて。その時、ジャングル叫女ちゃんもウチに来ることになっていたんですよ、3か月。で、ほかにもう一人も来ることになっていて。 ――それは良かったですね。その方のお名前は…。 坂井 ラ・エストレージャって子なんですけど、「いいよ、でも家賃だけお願いします」って話したら、「ぜひお願いします」って言われて。それで空港へ迎えに行く途中に、「あれ?そういえばマスクマンだから素顔知らないな」ってなって。でも実は昔、ライガーさんでも同じことがあったんですよ。15年くらい前ですかね。ライガーさんがインディのニュージャージーの試合に来る時に、プロモーターから、「一緒に来てくれるかな?」って言われて、私と旦那が一緒に行ったんですよ。でもその時、ライガーさんの素顔を知らないってことに気づいて、どうしたらライガーさんってわかるんだって。誰かに聞くのも失礼だし、私はもともとプロレスファンでもなかったし、 誰かわからないので…それでなんとかライガーさんの素顔らしきものを見つけたんで、この人かもしれないと予測して待っていたら、ライガーさん、普通に新日本プロレスのライオンマークのTシャツを着て歩いてこられたんで、絶対この人だってご挨拶をしました。ライガーさんも私を知らないので、お互い、最初にご挨拶をしたんですけど。そのラ・エストレージャさんもそうだったんで。申し訳ないんですけど、マスクがないときの写真をもらうか、「私、素顔なんで(笑)、声掛けてくれる?」って言って無事に会うことができました。ちょうどその時に、元ドラゴンゲートだった子なんですけど、SB KENToさんもオーランドに来ることがあったんで、「ちょうどいいよー。おいで―」って呼んであげて。その時、ジャングル叫女ちゃんもウチに来ることになっていたんですよ、3か月。で、ほかにもう一人も来ることになっていて。 ――同じ時期にそれだけの選手たちが(笑)。 坂井 そうなんです(笑)。それで、「申し訳ないけど、みんなジャングル叫女ちゃんが来るから、5人と猫一匹で6人家族になるけどいい?」って言ったら、みんな「いいですよ」って。その当時は6人で、一か月くらい住んでましたね(笑)。まさに合宿所状態でしたね。 ――それだけの大人数で、しかもレスラーだらけですもんねえ。 坂井 棚橋さんからは昔、「新日本プロレスの寮母さん」って言われたことがあります(笑)。