障害者手帳、障害年金だけじゃない! 精神疾患・発達障害の人のための「経済的支援」制度はこんなにあった
必要な人が必要な支援につながるために
精神疾患・発達障害は、その特徴ゆえに難しい側面があると言えるでしょう。特徴の一つとして、「中途障害である」という点が挙げられます。たとえば統合失調症は、別名「旅立ちの病」とよばれ、多くは思春期の15~18歳で発症します。 親の立場からすれば、小さいときは「障害のない子どもの親」として接してきたのが、まさにこれからという時に障害がわかり、それまでの価値観をどこかで大きく変えざるを得なくなるわけです。 でも、それはすごく勇気のいることで、なかなか思い切れなかったりします。実際、親が障害年金の受給に反対するケースはよくあるのです。そこには親自身の偏見や、国から「障害者として認定される」ことへの抵抗感などもあると考えられます。 精神疾患・発達障害のもう1つの特徴は、「わかりにくい」ということです。外見上は他の人と変わらないため、本人の抱えている困難が見た目からはわかりにくい。また障害について知る場面が家族以外ほとんどないため、経験則が乏しいという意味でもわかりにい。発達障害の人や、「グレーゾーン」とされる人は見過ごされやすく、制度につながらないケースも稀ではありません。 たとえば、こんな男性がいました。高学歴で弁も立ち、身なりもしっかりしている。でも彼は実は発達障害で、感覚過敏があり、外見からは決してわかりませんが、水が大の苦手でした。 水が苦手だから、できればお風呂には入りたくないし、水滴で濡れたペットボトルに触るのすら気持ち悪い。そんなふうなので、1年の3分の1くらいは気分も体調もよくありません。 にもかかわらず、周囲は“水が苦手”などとは思ってもみないので、彼の「生きづらさ」にはまったく気がつかない。 本人は「生きづらさ」があるのが当たり前になっているので(「常態化」といいます)、わざわざ相談しない。自分は障害者かも……などと考えることもほとんどない。だから「生きづらさ」を抱えたまま、ときに力尽きてしまうこともあるわけです。 しかし、こういう人が何かのきっかけで専門職や相談窓口につながり、支援を受けることができれば、バーンアウトせずに暮らしていけるでしょう。 支援にまったくつながらず、孤軍奮闘する生き方はきついものです。「生きづらさ」を抱えているだけでもきついのに、社会に頼らず生きるのは、どう考えても当事者には負担が大きすぎます。 そうであれば、使える制度やサービスは存分に活用し、社会に健康的な依存をしながら生きていくほうが、最も現実的でかつ意義もあるといえるのではないでしょうか。当事者がよりよく生きるために、経済的支援を権利として堂々と、笑顔で使ってほしいと思います。 2024年11月の新刊『発達障害・精神疾患がある子とその家族がもらえる お金・減らせる支出』はそのような願いを込めて世に送り出しました。この本が制度を知り、社会とつながるきっかけとなれば嬉しいです。 【註1】 定藤丈弘「障害者の自立と地域福祉の課題」、岡田武世(編)『人間発達と障害者福祉』(川島書店、1986年):151ページより。定藤丈弘(さだとう・たけひろ/大阪府立大学教授、故人)はアメリカなどの諸外国の障害者福祉施策を取り入れながら我が国の自立生活運動を牽引した研究者・運動家で、自身が身体障害を抱え車椅子を利用していたことから「車椅子の福祉学者」とも呼ばれた。一般向けの記事であることを考慮し、引用した一節は読みやすく言い換えてある。 【参考文献】 岡田武世(編)『人間発達と障害者福祉』(川島書店、1986年) 北野誠一ほか『障害者の機会平等と自立生活 定藤丈弘その福祉の世界』(明石書店、1999年)
青木 聖久(日本福祉大学教授、精神保健福祉士)