【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第25回 <関東大震災とベルギーから贈られた絵画と中禅寺湖畔の別荘>
■ベルギーから贈られた134点の絵画
『日本・ベルギー関係史』(磯見辰典・黒沢文貴・桜井良樹著、白水社)』によると、ベルギーの対応は迅速でした。5日には外務大臣が「日本人罹災者救済ベルギー国内委員会」の結成に動きます。ベルギー赤十字社などが協力し、各地で音楽会やバザーなどが催され、最終的に義援金は264万フランに上りました。それはアメリカやイギリスに次ぐ規模でした。 大使は『回想録』に記しています。 「現金、食料、衣類が世界各国から心温まる贈物として、日本に届いた。もとよりアメリカとイギリスから、もっとも莫大な救援がおくられてきた。しかし私は、わがベルギーが、この世界的連帯による大救援活動におくれをとらなかったといえることに、この上ない満足をおぼえるのである。私のもとに数百万フランの救済の金、ラシャ木綿の布地が大量にわが国から送られ、私はそれを日本政府に引き渡したのである」 ベルギーの支援はそれだけではありませんでした。ブリュッセルに住むエミール・バースという画家の提案により、画家や収集家から134点の絵画が集められ、日本大使館に贈られました。 1924(大正13)年10月、絵画は船で横浜に到着します。11月16日から22日にかけて「白耳義(ベルギー)国作家寄贈絵画展覧会」が内務省の施設で開かれました。 国立公文書館の文書によると、期間中の入場者は計3万817人、絵画の売上は計2万2635円に上りました。「時事新報」は「白耳義絵画展 全部売切れ 社会局ホクホク」と成功を伝えています。 展覧会には、貞明皇后や、結婚間もない皇太子時代の昭和天皇と香淳皇后も足を運びました。『昭和天皇実録』によると、昭和天皇は、ベルギーの美術家が同情を寄せ、絵画が多数寄贈されたことに感謝し、展覧会に関わった人々に謝意を伝えてほしい、と伝えています。 国立公文書館には「御買上品」と書かれた文書も残り、「皇后宮職」(貞明皇后)17点、「東宮職」(昭和天皇)18点など、宮家を含めて皇室で45点を求めたことがわかります。