地下鉄サリン事件から20年 テロ組織へ突き進んだオウム真理教
密閉社会での「最初の殺人」
オウム真理教は、信徒を外部からは覗くことのできない密閉社会に封じ込めました。そこでは、人知れず殺人を犯し、死体を焼却して証拠を残さないようにすることも可能でした。1989年2月、麻原の指示を受けた村井秀夫ら幹部5人が、脱会を希望していた信徒の田口修二さん(当時21才)の頭部にロープを巻き、締め付けるなどして窒息させて殺害したのです。この最初の殺人が施設内で行われてから、次第に殺人やその他の違法行為に免疫性が出てきたように思われます。“このようにすれば発覚することはない”という安心感が芽生えたのだと考えられます。 それからのオウムは、麻原の狂気とも思える犯罪の強要で、 急坂を転げ落ちるようにテロ組織への道に突き進むことになります。「ハルマゲドン」を自ら創出し、自分の予言が的中したと喧伝(けんでん)するために、無差別大量殺りくを行うような恐ろしい集団になっていったのです。 特に、1990年の衆議院選挙に教団幹部ら25人が立候補し、全員が落選した時には、麻原は怒り心頭となり、殺人をも容認する教義を持ち出し、「現代人を“ポア”する」といきり立ったのです。その数か月前には、坂本弁護士一家を殺害しているのに、善人の仮面をかぶって国政選挙に出ていたというのも、まともな人間のできることではないでしょう。人の命を何とも思わない教団が、さらに軍事武装化を図っていったのは、同衆議院選挙の大敗への逆恨みが直接のきっかけではなかったかと思われます。
「世界初」の化学兵器テロ
オウム真理教は、非政府組織として世界で初めて化学兵器、生物兵器を造り、実際に使用しました(生物兵器はほとんど効能がありませんでした)。世界のどのようなテロ組織でもそこまではしなかったことを、オウムは平然とやってのけたのです。麻原自身はその能力も技術もありませんが、それを実現できる有能な科学者を大勢入信させていました。それは、「ハルマゲドン」を創出して日本政府を倒し、自らが国家元首となってオウムのメンバーを閣僚に任じ、日本を思い通りの国にしようとしたからです。まさに狂気の集団です。 実は、サリンやVXガスは貧者の核兵器とも呼ばれており、国家レベルの主体でなくても比較的容易に生成できる兵器といわれています。材料と設備さえあれば、大学で化学を学んだ程度の知識で十分に製造可能なのです。だからこそサリンに目を付けたのだと思われますが、その散布方法も実に初歩的なもので、二つの液体を傘でつついて混ぜ合わせるというやり方でした。それでも、サリンの威力は絶大で、このような甚大な被害が出てしまったわけです。教団の意図を早いうちから探知し、危険な行為を阻止できなかったことは、政府諸機関にとって大いなる反省材料となりました。