地下鉄サリン事件から20年 テロ組織へ突き進んだオウム真理教
欺瞞に満ちたオウム
その前年の1994年6月27日、オウムは長野県松本市の住宅地で同じサリンを噴霧させ、8人を死亡させ、143人を負傷させるという事件を起こしています(松本サリン事件)。この事件について、マスコミもオウムの仕業ではないかと疑い、テレビ番組でもオウム疑惑を追及する特集を組んで、信徒にインタビューなどをしていました。幹部の上祐史浩などは、教団への疑念を全く根拠のないものと否定し、逆にマスコミを矛盾に満ちた虚偽の論法でねじ伏せようとまくし立てていました。 しかし、それもこれも、地下鉄サリン事件の2日後の3月22日、山梨県上九一色村のオウム施設を警察が強制捜索し、さらに、同年5月16日に麻原彰晃が殺人及び殺人未遂容疑で逮捕されるに及んで、真相が次々に暴かれていくことになります。
修行と称した洗脳
オウム真理教は、前身の「オウム神仙の会」が設立(1984年2月)されてからの数年間は、どこにでもありそうな新興宗教団体であったように思われます。 特徴は、普通では荒唐無稽に思えるような空中飛翔などの奇跡(?)が、修行によってできるようになると説いていたことです。また、世紀末思想(ハルマゲドン)も重要な役割を担っていたと思われます。 こうした神秘性が多くの信徒を集め、1987年にオウム真理教と名称を変えてからも、信徒は増え続け、最盛時には国外も併せて4万人に達したといわれています。資金集めは信徒からの寄付(お布施)が中心で、まず入信者を出家させ、財産のすべてを教団に捧げるよう強要します。両親の知らぬ間に家が売り払われていたというような例もありました。その他、信徒の中には有能な技術者もいたため、秋葉原にコンピューター・ショップを構えたり、ソフト開発を行ったりし、かなりの金額が集まっていたと思われます。それでも、信徒には修行と称して貧窮生活を強要し、麻原自身は贅沢三昧の生活でした。 オウム真理教のもう一つの特徴は、目的のためには手段を選ばない冷酷さにあると思います。信徒が脱会したいと言えば、平然と殺害を命じ、入信した子弟の帰宅を望む家族の問題等に真剣に取り組んでいた坂本弁護士一家も平然と殺害(89年11月4日)しました。坂本弁護士に自分たちの本質を見抜かれていたためです。教団の恥部、違法性を世間に暴かれることを極端に恐れた偽善者麻原の冷酷な命令でした。 また、こうした違法なことを何の躊躇もなく実行してしまう信徒を作り出したのも麻原でした。麻原は、信徒の洗脳(マインドコントロール)に関しては非常に熱心に取り組んでいます。神秘体験を創出するために、様々な工夫をし、修行中の信徒に違法な化学薬剤を与えて幻覚を起こさせることまでしたといわれています。毎日座禅を組んで修行するだけの毎日で、次第に思考力も持たせないようにし、何でも麻原の言うことを聴く抜け殻のような人間をたくさん作っていきました。 それが教団を最も危険な組織に導いた麻原(尊師)絶対崇拝(帰依)の思想です。サリン事件から20年経っても、その呪縛から逃れられない人が多いと思われます。