「2+1」の曖昧な民主主義のススメ
田中秀征氏による保守本流の再評価
少し前に出版された田中秀征氏の『自民党本流と保守本流 保守二党ふたたび』(講談社)という本は、この時代に焦点を当てている。 自民党には、岸信介を源流とする福田(赳夫)、森、小泉、安倍という自民党本流と、石橋湛山を源流とする吉田、池田、大平、宮沢、田中、竹下という保守本流がある。前者は清和会系、後者は宏池会、経世会系だ。田中秀征氏によれば、自民党本流は親アメリカ・憲法改正・集団的自衛権推進・戦前思想の継承という傾向があり、保守本流はアメリカとアジアのバランス・憲法尊重・集団的自衛権に慎重・戦前に否定的な戦後思想という傾向がある。 安倍政権に批判的な田中秀征氏が、野党よりも保守本流に期待し、保守二党体制を志向するのは、英米型二大政党と政権交代によって、政治に民意が反映されるという判断であろう。目指す方向は違っても、石原慎太郎や橋下徹や小池百合子らの動きもその流れにあった。 田中秀征氏は好感のもてる政治家で、この論理はある程度納得できる。 とはいえ現在の日本では、保守二党は可能性が低いように感じられるのだ。革新的な野党の存在感がなくなるのも寂しい。
プチ政権交代、本格的な政権交代、政界再編が可能に
たしかに戦後日本の成長時代は、自民党本流と保守本流がしのぎを削り、野党がある程度のチェック機能を果たした時代であった。そしてその二つの本流の中身は「派閥」であった。 派閥とは、非公式な政治グループすなわち党内党のようなもので、西洋的な個人主義からは批判される。しかし政治家が思想信条によるグループをつくることは、勉強会としても、また力の行使という点からも、当然のことかもしれない。現実に自民党の派閥は、地域閥でも、閨閥でも、学閥でも、宗教閥でもない。もちろんそこには思想信条とともに、日本の「家社会」的特徴である義理人情による結びつきがあるが、それを「悪」と決めつけるのは難しい。 こう考えてみると、日本人の民意は、必ずしも二大政党あるいは多党間の政権交代によらずとも、政治に反映されるのではないかという気がする。この際「政権交代絶対論」を脇に置いて、「2+1」の政治を考えてみたらどうだろうか。 与党の中にいくつかの勢力があって、二つの潮流をつくり、それに一つの強い野党が加わるという体制である。 2の中、すなわち与党の中に政権の交代があり、その交代が民意を汲み上げたものなら、社会変動が少ないかたちで、官僚の行政も維持されて、政治に新風が吹く。つまり「プチ政権交代」だ。2が結束している場合は、野党の1がバランスとして働き、必要な場合には民意がそちらに傾き、本格的な政権交代の可能性がある。2の中の1が独裁化しあるいは弱体化すれば、他の1が野党の1と組んでバランスとなり、場合によっては政界再編となる。つまり、プチ政権交代、本格的な政権交代、政界再編という三つの変革が可能になる。