「2+1」の曖昧な民主主義のススメ
理想的な民主主義国家は存在しない
戦後日本は、どこかに理想的な民主主義国家が存在し、それに比べれば日本はまだまだ遅れている、できるだけ近づく努力をすべきだというふうに考えてきた。 しかしよくよく見渡してみても、世界にそれほど理想的な民主主義を実現している国はないのではないか。ブレグジット(EU離脱)に揺れるイギリスも、極右が台頭するフランスも、トランプのアメリカも怪しいものだ。現在はドイツの評価が高いが、少し前までは二つの世界大戦の原因となった国として要注意扱いされていた。アジアの優等生シンガポールも、事実上は世襲的独裁政権で政権交代はほとんどない。 どんな時代も、それをもたらした事象の歴史観に支配されるもので、現在の日本は太平洋戦争の「敗戦史観」の中にある。民主主義の連合国が民族主義的ファシズムの枢軸国に勝利したという史観だが、第二次世界大戦前のドイツはワイマール体制というヨーロッパ屈指の民主的な体制であり、日本は普通選挙法も施行されアジアで唯一近代化され民主化された国家であった。また民主主義の代表選手のような顔をしているアメリカも、日本への原爆投下やベトナム戦争、またその後のイラク戦争などで、かなり非人道的な戦略を取っている。 つまり民主主義とは、戦後日本で教えられたような、単純に平和をもたらすものでもなく、そうであるだけで結構という理想でもなく、それぞれの国の社会的実情に応じて、できるだけ民主的な政治体制を築き上げる志向そのものではないのか。日本には日本文化に根ざした日本的な民主主義があるような気がする。
吉田茂~中曽根康弘の時代
昔から、二大政党制がいいのか多党制がいいのか、という議論があった。 イギリス、アメリカは二大政党制、フランス、ドイツは多党制で、どちらかといえば英米の方が安定的だったので、日本は二大政党制をめざしていると学校で教わった。ところが戦後の日本は、ほとんどが自民党政権であった。たまにある政権交代も成功とはいえなかった。つまり一党独裁という意味では中国を批判できないようなところがあり、その点では韓国の方が政権交代があって英米に近い。それでも「独裁国家」といわれないのは、日本の政治がそれなりに民意を反映してきたからだろう。 戦後、吉田茂から中曽根康弘までの時代は、ある程度成果をあげた。アメリカの影響下ではあったが、政治に緊張感があり、官僚もマスコミも役割を果たし、企業人はよく働き、学生はよく勉強し、戦後復興から高度成長へと走りつづけた。いわば「たくましき時代」であった。 圧倒的に強い与党の自民党と、政権担当能力は別としてそれなりにチェックする役割を果たした社会党を中心とする野党との組み合わせであった。そして注目すべきは、その自民党内に「派閥」と呼ばれるいくつかの勢力があり、そのバランスによって政治が動いていたことである。