【追悼】渡辺恒雄さん 妻への愛と後悔を語った手記「クモ膜下出血に襲われたあの日から…篤子よ、私はいまも罪の意識にさいなまれている」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが、肺炎のため2024年12月19日午前2時に逝去されました。享年98。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開く予定です。愛妻家としての一面もあった渡辺さん。妻・篤子さんへの思いを語った『婦人公論』2015年8月25日号の手記を配信します。********* 【写真】商業写真のモデルをしていたという篤子さん 長年寄り添い苦楽をともにした伴侶が、突然要介護状態に陥れば、生活が大きく変わります。仕事一筋に生きてきた夫は、人生の岐路に立たされたとき、何を思うのでしょうか* * * * * * * ◆血まみれの姿を見て 「君はいまでも美しく、やさしく、世界一良い女房だ」 「あなたはハンサムで、働きがいいし、結婚前はセックス・フレンドがたくさんいたようだけど、結婚後は、一夫一婦を守ってきた良い亭主ね」 と、こんなバカげたと思われるような会話。これは、毎朝出勤前、自宅の玄関に送りに来る老妻篤子と私とのやりとりだ。多少モディファイ(変更)はあるが、ほとんど同じ文言。認知症を患う老妻は85歳。かくいう私は89歳の老爺である。 他人が見れば、噴き出すようなバカげた会話かもしれないが、余命いくばくもない私にとっては人生至福の時間である。 とはいえ、我が家を出て、ひとり会社に行く車中で、しばしば私は老妻に対する罪の意識にさいなまれることがある。それは、老妻が十数年前に発病した日の、いまでも鮮明によみがえる出来事にかかわることだ。 その日。朝9時半頃だった。毎朝通勤してくれる家政婦の女性。頭脳明晰な若く美しい人だ。寝室でひとりで寝ていた私は、突然彼女に呼び起こされた。 「御主人、奥様が大変です」。彼女の顔色は蒼白であった。 寝室を出た私はリビング・ルームに飛び込んだ。そこで見た凄惨な光景はいまでも忘れられない。 リビング・ルームの中央には、私が常用しているリクライニング・チェアがある。妻の篤子は、そこで上向きに横たわっていた。顔から手から、着ているパジャマ全体が血まみれになって……。その血痕を辿ると、リクライニング・チェアからトイレまで点々とカーペットを染めていた。 私は血まみれの妻の姿を見た瞬間には、強盗のタグイによるものだと思った。しかし、妻の顔に耳を寄せて聞きすますと、いびきの音が聞こえる。周囲に荒らされたあとはないことから、脳出血の発作だと即断できた。後にわかったことだが、妻はトイレで排便中にクモ膜下出血の発作を起こし、そのショックで便器からはねあがり、柱の角に頭を強打した。後に医師に聞いたところでは、額の裂け目を6針縫ったが、その裂け目から頭蓋骨が見えていたというから、よほど強打したのであろう。
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