ゴーストタウンから若者の聖地へ…大阪「味園ユニバース」が“ナンバの魔窟”となったワケ。映画のロケ地としての歴史も解説
大阪・千日前に構えた老舗ビル「味園ビル」が、2024年末に終焉を迎える。高度成長期よりミナミの歓楽街を代表する存在であり、日本最大と言われたキャバレー「ユニバース」は、映画『味園ユニバース』(2015)の舞台になったことでも有名だ。今回は、そんな70年近くに渡って親しまれた「味園ビル」の歴史を紐解く。(文・田中稲) 【写真】“ナンバの魔窟”が解体間近…。昭和のディープな香り漂う貴重な写真はこちら。「味園ビル」のカット一覧
高度成長期、千日前にできた小宇宙「味園ビル」ついに閉館
「ミナミの、夜空のネオンがひときわ輝くレジャービル、味園!」「美女の熱烈接待で、今宵の歓楽も明日の活力」「オトナの宇宙、妖艶な美女とのひと時、ビッグバンがここにある ユニバース! 官能の宇宙」「一献の盃は、10年の知己に勝る」「大阪千日前の夜は、ユニバースからから開く」――。 これらは、1970年半ばから、味園ビルのCMに使われたナレーション。そのとびきり艶やかな文言通り、味園ビルは、大阪千日前の夜の顔だった。 高度成長期やバブルの時代には多くの飲兵衛たちを楽しませ、接待にも使われ栄華を誇った。不況もコロナ禍も、なんとかくぐりぬけてきた。しかしついに今年の年末、老朽化に伴い閉館となる。 難波の時代の移り変わりを、赤とブルーのネオンで禍々しく照らし続けた味園ビル。その歴史を、簡単にではあるが振り返ってみたい。
実業家が独学で図面を引いた!
味園ビルが立つ千日前は、戦後まもなくは進駐軍向けの盛り場だった。治安も決していいとはいえず、若者が軽々しく近寄れない歓楽街。 千日前に遊びに行く際「アーケードがないところは行くな」と親にくぎをさされた思い出がある人もいるだろう。日本初のアルバイトサロン(現在のキャバクラ)が開店したのも千日前だ。 しかし、ここから世界に通用するエンターテインメントを目指した人がいた。味園ビルの初代オーナーの志井銀次郎である。彼は台湾出身の実業家で、デザインや建築を専門に学んだことはなかった。が、熱意とアイデアは余るほどあった。 戦後10年というタイミングで「おもろいビルをつくりたい」と思いつく。その「おもろいアイデア」とは「宇宙=ユニバースをビルで表現したい」だったのだ! 無理。普通に考えれば無理。夢物語で終わってもいい話なのだが、志井氏は、なんと独学で建築の勉強をし、図面を引いた。さらに、自身の会社にいる、電器部門、技術部門、デザイン部門など、それぞれの専門の優秀なスタッフや職人にイメージを伝えた。 そして専門家でないからこそ生まれる「そこにその装飾が持ってくる?」的ぶっとび発想がガンガンに実現され、そこが味園の一番の魅力となった。