ゴーストタウンから若者の聖地へ…大阪「味園ユニバース」が“ナンバの魔窟”となったワケ。映画のロケ地としての歴史も解説
日本最大とも言われたキャバレー「ユニバース」
初期の味園ビルは、地下1階にダンスホール、5階に500人が一度に入れる宴会場「宴会天国味園」。そして一番の売りは、2階から4階のぶち抜き、グランドキャバレー「ユニバース」。 キャバレーとは、生バンドによるショータイムを楽しめ、広いダンスフロアで踊りもでき、席につけばホステスがつき、お酒を楽しみながら艶やかな会話ができるという、まさに大人だけが許される社交場だ。 高度成長期、キャバレーは東京と大阪を中心に都市部で大流行し、大規模なものがどんどん建てられていた。 「ユニバース」はそのなかでも、日本最大の呼び声も高かった。なんたって3層構造の円弧状の吹き抜け、天井の高さはなんと12m! そこには3万個もの電飾が星のように輝き、周囲にはロケット状のシャンデリアがキラキラと輝き、衛星をかたどったボール状の照明が回転。空中には円形のゴンドラステージがあり、それに乗って、ダンサーが天井から下りてくるという演出だった。 3つもジャズバンドが入り、1000の客席、1000人のホステスがいたというから、想像するだけでも煌びやか、大騒ぎである。 当然ながらまたたくまに「ユニバース」は評判になった。“浪花のモーツァルト”ことキダ・タローはここでピアノの腕を振るったし、和田アキ子は、10代の時専属歌手として、ビッグバンドの演奏の合間、ジーン・ヴィンセントやリトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーの歌を披露していたという。ブレイク前のピンク・レディーもここで歌ったのだとか。 全盛期には連日満員御礼、当時ビルを訪れた外国人旅行者たちが「OH! モーレツ!」…と言ったかどうかは分からないが、1962年には『LIFE』誌にも「日本最大のキャバレー」として写真入りで大々的に掲載されている。 そして味園ビルの周辺には、戦後閉鎖されたダンスホールが再開したり、新たなキャバレーが建ったり、大いににぎわっていくのである。