吉野氏が化学賞「リチウムイオン電池」研究の歴史がつなぐ50年後のノーベル賞
リチウムを電池の負極に使い初の「充電式」
リチウムは、118種あるすべての元素の中で最も電子を放しやすい(プラスのイオンになりやすい)性質をもっています。リチウムはあまりにイオンになりやすいため、イオンではない状態のときはわざわざ「金属リチウム」と呼んだりするほどです。この電子を放出してイオンになりやすい性質は、電池の材料にはもってこいでした。 なぜ電子の放出と電池の材料が関係あるのでしょうか。電池は、主に「負(マイナス)極」「電解質」「正(プラス)極」の3つの部分から構成されています。そして、マイナス極からプラス極に電子が移動することで電気エネルギーを生み出すという装置です。
つまり、マイナス極にはできるだけ電子を放出しやすい材料を使いたいという願いがありました(「電流」はプラスからマイナスへ流れると学校で習います。ややこしいですが、これは「電子」の流れが発見される前に定義されたもので、実際には電子の粒がマイナス極からプラス極へと移動しています)。 電池の歴史は1780年、今から約240年前までさかのぼることができます。その頃、ボルタが発明した電池(ボルタ電堆)のマイナス極、つまり電子を放つ材料は、亜鉛(Zn)でした。電子の出し入れのしやすさは物質によって決まっており、亜鉛はそこそこ電子を放ちやすい元素ですが、リチウムにはかないません。リチウムは電子を放ちやすい元素の王様といえるでしょう。 ではこのリチウムが、私たちの手元にリチウムイオン電池という形になって届くまでのお話をしましょう。 今回の受賞者の1人、ウィッティンガム博士は、電子を放出しやすいことが知られていたリチウムを電池のマイナス極の材料(金属リチウム)として活用し、1973年、実際に充電式の電池を開発しました。この電池の起電力は2ボルト。何個か電池をつなぎ合わせれば、十分な起電力を得られますが、実用化のためにはもう少し起電力がほしいところです。何はともあれ、ウィッティンガム博士はリチウムを使って初めて充電式電池を駆動させ、これが現在のリチウムイオン電池への最初の一歩となりました。 しかし、起電力以上の課題がありました。実は一見、材料として優れていそうな金属リチウムは、空気や水に触れると爆発するという危険な性質をもっています。リチウムそのものの性質が、電池開発の行く手を阻んだのです。 ウィッティンガム博士の開発した電池は、「充電/放電」を繰り返すと、マイナス極上にウィスカーとよばれる金属リチウムの突起ができました。この突起がプラス極まで達すると電池がショートし、電池自体が発火する危険性があります。電池の中には、空気や水に触れると危険な金属リチウムが入っているわけですから、一度燃え出してしまった電池は通常の消火方法では鎮火できず、重大な事故につながることが容易に予想できました。 ウィッティンガム博士の発明は、リチウムの強みと弱みを知った上で、どのようにうまく電池を設計するかという課題を明確に示したといえるでしょう。 いずれにせよ、ウィッティンガム博士はリチウムという材料を電池の分野に引き入れ、実際に使用できるリチウムイオン電池への「種をまいた人物」だと言えそうです。