吉野氏が化学賞「リチウムイオン電池」研究の歴史がつなぐ50年後のノーベル賞
論文で偶然見つけた炭素系材料が高品質化に活路
一方、吉野博士が電池の材料として注目していたのが、ポリアセチレンのような「炭素材料」です。電気を通す炭素材料をマイナス極に使うと性能のいい電池ができることを見出しました。しかし、炭素系材料には金属リチウムのような電子を出しやすい物質は含まれていませんし、炭素系材料に合うようなプラス極もみつかりません。プラス極の材料を探し求めていた1982年、グットイナフ博士が見出した「コバルト酸リチウム」を論文から偶然見つけます。これをプラス極に使用したところ、高いパフォーマンスのリチウムイオン電池への活路が開けました。 コバルト酸リチウムという材料は、グッドイナフ博士が報告した電池に使われたもので、先に述べたウィッティンガム博士の電池の2倍にあたる4ボルトの起電力を発揮したのです。 再びリチウムに視点を戻しましょう。吉野博士のリチウムイオン電池は、プラス極にもマイナス極にも金属リチウムを使っていません。マイナス極は炭素系材料であり、プラス極にも、リチウムはイオンとして存在しています。爆発の危険性のある金属リチウムは電極内にないのです。電子と、プラス極のリチウム酸コバルトに由来するリチウムイオンが電極の間を行ったり来たりすることで充電と放電ができる電池になりました。 そして1986年、ついに安全で実用的なリチウムイオン電池の原型が完成したのです。吉野博士は、まさにリチウムイオン電池の「種に水をやり、花を咲かせた人物」でしょう。そしてその花は、グッドイナフ博士が発見した「肥料」があったからこそ大きく開花したのではないでしょうか。
50年後のノーベル賞の“種”が今もどこかで?
リチウムイオン電池の開発という今回の受賞は、その種となる発明から、種を育て、実際に花を咲かせて私たちの手元に届くまでの開発の経緯を“一本の線”で教えてくれるものでした。 また、その種が生まれたのが約50年前、そして実用化されたのが約30年前と考えると、開発に要した時間のスケール感が分かるでしょう。50年前の1970年代といえば、世界をいわゆる石油危機が襲った頃です。石油を使わない代替エネルギーが注目され始めた時代でした。30年前といえば、インターネットがまだ一般には普及していなかった頃。当然タブレット端末はまだなく、携帯電話も肩掛けスタイルで今よりもずっと大型だった時代です。 今から50年後、ノーベル賞を受賞するような、人類に貢献する技術、その種は“今”まさに世界のどこかで生まれようとしているのかもしれません。