伝説の“名勝負”で振り返る新日本プロレス「1・4」東京ドーム大会…34年続く“伝統行事”のルーツを探る
名勝負の数々
一大イベントだけに、エポックな出来事や演出も多い。1994年には天龍がシングルで猪木をフォールし、“馬場、猪木の両巨頭に、唯一フォール勝ちした日本人レスラー”となる。98年は当時、スタイリッシュなヒール一派として知られた蝶野正洋率いるnWo軍団に、横浜ベイスターズ(当時)の三浦大輔(現DeNA監督)投手と、鈴木尚典外野手(同コーチ)が加入し、蝶野のセコンドとして入場。対戦相手の越中詩郎から、軽めの蹴りを食らっている。 そして1999年には、俗に言う“1・4事変”が勃発。小川直也がフリーファイトで橋本真也を叩き潰してしまった。小川自身が後年、「猪木さんに『これは世紀をかけた一戦にするから、お前やってこい』と言われた」と内実を明かしているが(2021年8月23日深夜放送。カンテレ「こやぶるSPORTS超」より)、同じ日に大仁田厚が新日本プロレスに初参戦しており、これに猪木が最後まで猛反対していたという背景もある。しかし、大仁田参戦の発表と同時に、前売りチケットは1万枚近く売れたというから、興行としては大成功だったが、それが逆に、猪木の不機嫌さに拍車をかけた可能性も否定は出来なかった。 ブシロード体制になってからは、更に演出は華やかになる。2013年には、鈴木みのるの入場時、テーマ曲の「風になれ」を作者のシンガー・中村あゆみが生歌で熱唱している。
そして、何より特筆すべきは、名勝負の多さである。東京スポーツ制定「プロレス大賞」の「年間最高試合」(ベストバウト)に、「1・4」の試合は2試合が受賞しているし(天龍vs長州、オカダ・カズチカ vs ケニー・オメガ)。連戦となる「1・5」も含めればもう1試合が受賞(オカダ・カズチカ vs 内藤哲也。2020年)。更に選手自身の思い出の試合が多いのも特長で、今年で33年のキャリアを誇る永田裕志はカート・アングルとの一戦(2008年)を自らのベストバウトに上げ、中邑真輔は前出の鼻骨骨折で臨んだ高山善廣戦を、「もう、自分が賭けられるものは、命しかなかった」と感慨深く振り返っている。 また、筆者がインタビューした中で、柵橋弘至とプロレス好き芸人・博多大吉が「プロレス史上に残るベストバウト」として挙げていたのが、猪木vsビッグバン・ベイダー(1996年)。投げっぱなしジャーマンで猪木が一回転バウンドしてしまう場面で知られる壮絶な一戦だったが、個人的には次の試合で垣原賢人(UWFインターナショナル)と一騎打ちした長州力が、その掌底を顔面に食らい、「キレたことはキレた」(試合後コメント)と、フロントネックロックで垣原を落としかけた挙句、6分足らずでサソリ固めで勝負を決めてしまったことも印象深い。長州の試合後コメントを続けよう。 「(猪木は)リング上で万一、死んでもいいというファイトをしていた。(猪木の試合に)燃えた部分はあったね。まあ、俺は俺のスタイルをやってると思ってるし、プライドを持ってこの世界で食っている」 相手の凄みすら引き出す猪木と、叩き潰すプロレスの本流を行く長州との、それぞれの違いがよく出ていた日ではなかったか。 近年では、まだまだコロナ禍の影響にある中、連戦となる2022年1月5日、メインを締めたオカダ・カズチカのマイクが心に残る。 「俺、やっぱり、声援のある中でプロレスがしたい……(※涙ぐみ)もう無観客(試合)に戻りたくないです……」 コロナ禍の封鎖は解け、プロレス会場に声援は戻って来た。今年の東京ドーム大会は、上記の2022年から3年ぶりに、1月4日、5日の2連戦となる。新日本プロレス公式HPで、20年におこなわれた菅林直樹会長のインタビューより、貴重な情報を引用したい。 「次回、1・4が土曜日になるのは2025年みたいです」 土日の連戦となる、本年の東京ドーム大会。盛り上がりは間違いなしだ。激闘に期待したい。 瑞 佐富郎 プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に取材&執筆活動へ。近著に『プロレス発掘秘史』(宝島社)、『プロレスラー夜明け前』(スタンダーズ)、『アントニオ猪木』(新潮新書)など。 デイリー新潮編集部
新潮社