「布川敏和」が明かす昭和アイドルの“紅白歌合戦ウラ話” メリーさんを激怒させた「不謹慎コメント」に、本木雅弘が泣くほどイヤだった「スシ食いねェ!」誕生秘話も
「紅白に出られるのは“当たり前”だと勘違い」
今や「国民的歌番組」の称号も形ばかりとなった紅白歌合戦。しかし、かつてこの番組には視聴率が70%を切るだけで「大事件」と言われた時代があった。昭和から平成にかけての“紅白黄金時代”を彩ったレジェンドの一人、シブがき隊の元メンバー・布川敏和がその熱狂とハプニングの数々を述懐する。 【貴重ショット】全盛期の「シブがき隊」がカッコよすぎる…! 近藤真彦、田原俊彦らとの集合写真も ***
昔はインタビューで「紅白を目標に頑張ってきました」なんて答えていたりもしたけど、実際はそうでもなかったんだ。シブがき隊は1982年にレコード大賞の最優秀新人賞をもらったでしょ? 事務所の先輩だったトシちゃん(田原俊彦)やマッチ(近藤真彦)も、レコ大の新人賞を取ってそのまま紅白に出場という流れだったから、紅白に出られるのも“当たり前”だと勘違いしていた。敷かれたレールの上を走っていただけなのにね。
わずか10分で移動しなければならず……
でも、いざ本番の日になるとそのすごさが身に染みて分かったよ。 82年の紅白は今と違って21時から放送開始。レコ大も当時は大みそかの放送で、最優秀新人賞を取った僕らはわずか10分足らずの間にレコ大が開催されていた帝国劇場からNHKホールまで移動しなければならなかった。普段はマネージャーの運転するワゴン車で移動していたんだけど、この日ばかりは1人1台、黒塗りのハイヤーが用意されていたね。 それまでジャージにトレーナーみたいなラフな衣装が多かったけど、この日だけはメリー(喜多川)さんがキラキラのタキシードを新調してくれてさ。慣れないカフスボタンや蝶ネクタイに格闘しながら車内で着替えをして。
警察官が信号を操作して……
でも、いくら何でも「NHKホールまで10分」は無理。そう思って、一緒に乗っていたマネージャーに「信号が全部青にでもならない限り無理だよ」って言ったら、「全部青だから心配するな」って。外を見たら、各信号機の下にお巡りさんが立っていて、四角いボックスの扉を開けて何やら操作しているんだ。 僕たちが最優秀新人賞を取った場合に備えて、前の日の夜のうちに「3台続けて、時速何キロで、どのルートを通って……」と移動のリハーサルまでしていたらしい。「すげぇ番組だなぁ」って嫌でも身が引き締まったよ。