「布川敏和」が明かす昭和アイドルの“紅白歌合戦ウラ話” メリーさんを激怒させた「不謹慎コメント」に、本木雅弘が泣くほどイヤだった「スシ食いねェ!」誕生秘話も
ハワイで遊んでいると突如電話が……
翌86年は紅白落選。別に前年の「悪フザケ」が原因じゃなくて同じジャニーズの「少年隊」がその年にデビューしたんだ。ジャニーズばっかり出せないからね。 薬丸なんかは真面目だったから、本気で悔しがっていたけど、僕と本木は大喜び。やっと年末年始ゆっくり過ごせるってね。だいたいシブがき隊はこの「1対2」の構図が多かった。僕や本木はチェッカーズやコウジとよくつるんでいたんだけど、薬丸は「俺たちのファンをあいつらに持っていかれてるんだぞ」「悔しくないのか!」って。まあ言っていることも分かるんだけど、あいつらの方がカッコいいんだからしょうがないじゃん。 で、久々の年末年始の休みに何をしようかなって考えていたらレコード会社の人が「ハワイに連れて行ってやる」「紅白のことは忘れてパーっとやろう」って。 年末にハワイに飛んで、次の日は完全にオフという29日の夜、みんなで部屋で飲んでいたら、突然、日本から電話だよ。マネージャーがあまりに神妙な顔つきで話しているから「誰か死んだかな?」と思ったら「メリーさんがとにかくシブがきを日本に帰せって!」。
「メリーさんが激怒」
帰国後に分かったことだけど、ちょうどその頃、日本では演歌歌手と反社会的勢力との付き合いが問題になっていて、本番直前に出場辞退が相次いだんだよね。それで急きょ僕らに白羽の矢が立ったというわけ。夜の空港でキャンセル便を待って、第1便で薬丸と本木が、次の便で僕が日本に帰った。 成田空港に着いたのは30日だった。記者やカメラマンが到着ロビーに詰めかけていて「歌は何を?」「衣装はどうするんですか?」と質問攻めに。ハワイ帰りの僕はそこで「海パンにアロハ羽織って、サンオイル持ちながら歌っちゃいますよ~」なんてリップサービスしたのよ。 でも、車でNHKホールに直行したら、メリーさんがカンカンに怒ってるわけ。成田でのコメントが「フザケ過ぎだ!」って。まあ欠場者が出た事情が事情なんで確かに不謹慎だけど、当時はスマホもネットもないから、その時点では何が起こっているのか分からなかったんだ。