「布川敏和」が明かす昭和アイドルの“紅白歌合戦ウラ話” メリーさんを激怒させた「不謹慎コメント」に、本木雅弘が泣くほどイヤだった「スシ食いねェ!」誕生秘話も
「スシ食いねェ!」誕生秘話
85年に出場したときも懐かしい。「スシ食いねェ!」を歌ったんだけど、この曲はその誕生の経緯からして変わっていてさ。 85年の3月に薬丸(裕英)がテレビ番組のロケで8メートルの高さから落ちて大けがしたの。それがちょうどコンサートツアーの真っ最中で、俺と本木(雅弘)は「よし! 明日から遊べる! 買い物行ける!」と手をたたいて喜んだわけ。薬丸には申し訳なかったんだけどさ。 でも、すぐに事務所の人が来て「メリーさんが『二人でやれ』と言っている」って。曲はそれぞれのソロパートがあったから「うそだろ!?」と思ったけど、メリーさんの指示なら仕方ない。 ただ、本木はもともとあんまり喋らないし、薬丸がいないとMCが持たない。それで「もう1曲入れて、間を持たせよう」と自分で新曲を作ることにしたんだ。 滞在していたホテルで、慌ててバンドのベースだった葛口雅行に曲を書いてもらった。ラップがちょうど日本に入ってきた頃で「ラップなら音程もいらないし、そういうのをお願い」って。
「こんなに売れるなら、自分で完成させときゃよかった」
で、ルームサービスで頼んだ寿司を食べながら歌詞を考えて。葛ちゃんに「もう深夜2時だよ? 明日やるんでしょ?」とせっつかれて、ふと机の上を見たら寿司を注文した時のメモ書きが残っていた。 「もういいや! このメモから好きなネタを選ぼう!」「中トロ、コハダ、アジ……」「そうだ、ラップだし韻踏まなきゃ。上がりとガリ、でいいな」「『へい、らっしゃい』とか、それっぽいのも入れとくか」 コンサートで歌っていたのは今歌われているのより短い、もっと即興な感じだったけど、ファンには結構ウケたの。薬丸が復帰した後のツアーでも「スシやってー」とリクエストされたしね。 そしたらレコード会社のプロデューサーが「スシの曲、もっと長くして1曲に仕上げろ」って言い始めて。でも当時は僕も六本木に遊びに行ったりして忙しかった。そのプロデューサーが「もう、プロの作詞家入れちゃうよ?」って言うから任せきりにしていたら、その年の12月にNHKの「みんなのうた」で流れることになったの。 あの曲をきっかけにコンサートに子連れのお母さんが来るようになったりして、ファン層は確実に広がった。「こんなに売れるなら、自分で完成させときゃよかった」って本気で後悔したよ。