パリオリンピックに臨むなでしこジャパン・北川ひかる――どん底まで落ちたエリートはどうやって復活を遂げたのか
自身のプレーについて試行錯誤するなかで、北川はU-17代表時代に教えを受けた高倉麻子監督率いるなでしこジャパンに19歳で招集された。2017年のアルガルベカップ。その初戦となるスペイン戦で、いきなり先発出場を果たした。 チームとしては後手を踏む展開にあったが、北川は強気に仕掛けていったかと思えば、空中戦でも相手との競り合いを制すなど、奮闘していた。しかし、そこから数カ月して北川の心は折れかけていた。 「若くして期待されてなでしこジャパンに選んでもらって、(アルガルベカップ)以降も呼んでもらっていましたけど、正直、自分のなかでは(代表でのプレーに)そんなに自信を持てる感じじゃなかったんです。練習ではできないことが多くて、先輩に教えてもらいながらやったりしていましたが、メンタル的には『やっぱり(自分の代表入りは)まだだよな』っていうのがわかっていたから、落ち込みました」 常に強気な姿勢で敵に飛び込んでいく彼女から覇気がなくなっていく様は、実に意外だった。まだ20歳になったばかり。失敗しながらチャレンジしていく時間は、十分にあるように見えていたからだ。 「フル代表の"壁"、だったんでしょうね。自信ないし、この状況でどんな変化ができるのかっていうときに、自分のなかでは成す術がなかった。ただチャレンジすればいい。自分にできることをすればいい......わかってはいるんですけど、当時の自分はそれができないくらい、逃げてた。自分を信じられなかったんです」 どん底まで落ちていた北川だが、2018年9月、ついに動いた。アルビレックス新潟レディースへの移籍が発表されたのだ。 新潟は堅守を誇るチームだ。北川が自らのことを、本気で鍛え直そうとしているように感じた。 「行動に出るまで、かなり時間がかかりました......結構、落ちていたので(苦笑)。でも、諦めるってことができなかったんです。結局、プレーをよくするためには課題を克服するしかない。それまでは長所を伸ばしてきたけど、真剣に課題に取り組まないといけないと思いました。新潟は組織的に守備をするチームだったし、そこで守備を学ぼうと決断しました」 それにしても、もともと1対1の強さは国際試合でも引けをとることはなかった。北川は、自身のどこに"弱さ"を感じていたというのだろうか。 「当時はもう、ただがむしゃらにやっていただけで、守備に対しての理解が低すぎて......。チャレンジ&カバー、ライン設定をはじめ、この状況だったらどうしたらいいのか、何を基準にしてそこに立つのか......。守備についてのすべてを、新潟で基礎から頭と身体に叩き込んでもらいました」 そこから、着実に成長を重ねていった北川。しばらくして、神戸から移籍話がきた。 しかし、最初のオファーには断りを入れている。その前年、指揮官が変わったばかりの新潟でのシーズンで満足できる成績を残せなかったからだ。そして、新潟に残留した1年で、北川は個人戦術をさらに学んでいくことになる。