『きみの色』山田尚子監督インタビュー 「最も大事にしたのは“人をジャッジしない”ということ」
タイトルにもなった“きみの色”を描く難しさ
山田作品ではキャラクターを“作り手の駒”として扱わない。映画なので脚本が書かれ、監督が演出しているが、スクリーンに出現するのは“人格をもった存在”だ。過剰なタイプ分けや、単純な性格づけは行われない。彼女ら、彼らはそこに生きている。 本作でその想いが最も強く出ているのが、トツ子、きみ、ルイが初めて出会い、バンドを組むシーンだ。ここで彼らは最初に「どんなジャンルの音楽が好き?」とか「どのバンドが好き?」と質問することなくバンド結成を決める。一見、そんな流れでバンド結成なんてあるのか? と思えるが、ここがこの映画の重要なポイントだ。 3人は相手を“ジャンル”や“好み”や“属性”で見ていない。山田監督がキャラクターにラベルを貼らないように、トツ子たちも相手をラベルで見ようとしない。彼らは属性やラベルとは違う視点で相手を見て、距離を縮めていく。 「それはすごく大事なポイントだと思います! 相手に『何が好き?』って聞くことって、最初から相手を“ジャッジ”しているってことですよね? この作品で最も大事にしたのは“人をジャッジしない”ということでした。 最近、人を属性とか好みでカテゴライズする傾向というか、流れがあることがずっと気になっていました。確かに同じ属性の人と出会えると安心できると思うんですけど、そのことで“安心できないままでいる人”のことを見過ごしてはいないだろうか? と思うんです。 だからこの映画では人をカテゴライズしないし、ジャッジしない。何かが起こっても他人のせいにしない。すべては自分自身に返ってきて、それでも信じ続けることで、それが結果として周囲に作用して、自分の形を知っていく。そこを大事にする作品をつくりたかったんです」 興味深いのは、そのような作品で山田監督は主人公のトツ子に人の感情を“色”でとらえることができる能力を与えたことだ。凡庸な映画であれば、主人公が相手の感情を色で見えることで、相手の本心に気づいたり、色の変化にドキドキしたり、色の変化で“この人の余命は短い!”とムダに気づいてしまったりする。しかし、本作ではそんなことは起こらない。いや、起こってはならない。そんな展開を盛り込んだ瞬間、トツ子が相手を“色でジャッジする”ことになるからだ。 『きみの色』と題した本作において、感情の色は物語を便利に進めるためのアイテムにはならない。してはならない。 「言われてみれば確かにそうですね(笑)。『相手の感情の色が見えるって、いいアイデアですね』と言っていただくことが多いのですが……本当に難しかったです」 トツ子たちは人生の先の見えない不安の中で、他人に依存したり、相手を属性やラベルでジャッジしたり、他人のせいにしないで、自分の信じる道をおそるおそる見つけて、ひたむきに進んでいく。それは不恰好かもしれない。残酷な結果を生むかもしれない。でも彼女たちは迷いながら自分と向き合い、好きなものを、信じられるものを見つけていく。 『きみの色』は、映画という長い時間をかけて語ることができるフォーマットを存分に活かした語りで3人の若者の心の変化を描き出す作品だ。そして詳しくは書けないが、山田監督作品史上、最も熱く、感動的なラストシーンが描かれる。 「映画を観てくださる方がちゃんと理解できる感情の動きを描きたいと思いました。この映画のために取材で長崎に行ったんですけど、それがちょうど春で、卒業だったり転勤だったりの時期だったんです。そこで船のある街の人々の出会いと別れをこの目で見てしまった。これを見ておいて、この街がモデルの映画で、この場面は無視はできないなと。この3人の感情にちゃんと責任をとりたい、そう思って描いた結末です」 8月30日(金) 全国東宝系公開 ©2024「きみの色」製作委員会