会社に壊されない生き方 (14)指図されずに、つくりたい本をつくりたい
再び出版の世界へ
最初は、フリーランスの編集者をやろうと考えたが、1冊出版しただけでやめた。「フリーランスは会社員と変わらない」とわかったからだ。 フリーランスの編集者は、出版社や編集プロダクションと契約を結んで仕事をする。もちろん、契約先の権限の方が強い。良い書籍になると確信して提案した企画も、採用されるか否かは契約先の担当者および上司次第だ。出版社時代と同じく、自らの思いをすべて通すのが困難なのだ。 権限を持つ人の要望に応えねばならないという点で、「フリーランスは会社員と変わらない」という指摘は正しい。出版に限らず、企業を対象にビジネスをするさまざまな業種のフリーランスは大半が同じだろう。客先のニーズを二の次にしたビジネス展開は想像しにくい。 出版社時代、自分が「こういう本をつくりたい」と提案しても、完全に実現するのは難しかった。上司が「タイトルを変えろ」と口を出してくる。上司の言うことが的確かどうかはともかく、上司の指示でタイトルを変えなければならなかった。それが嫌だった。 自分がつくりたい本をつくりたい。菊谷さんの心は起業の方向に傾いていく。怖さはあったにちがいない。事業に失敗すれば、家族を貧乏生活にまきこんでしまうだろう。かといって、会社員という安定を得る代償として、自分が納得できない本をつくるという選択肢はありえなかっただろう。 子どものころは、理不尽な校則などのルールを考えなしに押し付ける大人たちに反抗心を抱いていたという。「納得できない指示にはしたがえない」。これは大人になっても変わらなかった。 菊谷さんは、誰にも縛られず、自由に仕事をしたいタイプの人だ。何物にも代えがたい自由。怖くても、進むべき道は出版社の起業しかなかったということだろう。 2011年7月、菊谷さんは「菊谷文庫」を立ち上げた。
労働時間は、出版社時代に比べてほぼ半減
起業から6年あまり。「菊谷文庫」では、インタビューや詩、小説、評論、マンガまで幅広く盛り込む文芸誌「kototoi(こととい)」のほか、哲学や詩集などの単行本を出版してきた。読む人を今まで気づいたことのないような未知の世界に連れていく本、読んだ後にハッピーになれる後味の良い本の出版を目指してきた。これまで手がけた書籍について、菊谷さんは「すべてその都度ベストを尽くせました」と満足気に語る。 労働時間は1日5~6時間と、出版社時代に比べてほぼ半減した。午前中に2~3時間、午後に2時間ほど仕事をする。足りなければ、子どもたちが寝た後の時間を使う。 通勤時間はゼロになり、家族とふれあう時間が増えた。そんな菊谷さんの働き方について、菊谷さんの妻も「出版社時代と違ってのんびり働いているので、安心して見ていられます。子どもの面倒もよく見てくれます」と話す。 年収は、出版社時代の最高額が約600万円だったが、その半分の約300万円に下がった。妻も専業主婦だ。しかし、菊谷さんは「うちには、家、車、教育の3大ローンがありませんので、月25万円あれば十分暮らせます。貯金や旅行のための積み立てもできます」とこともなげに語った。 出版社時代とは違って、毎月コンスタントにお金が入ってくるわけではない。ときには収入ゼロの月だってある。それでも、目の前の仕事を一生懸命やっていれば、次の仕事につながっていったという。 「出版社時代に比べて収入は減りましたが、お金を何年も自分でつくってこれましたし、これからも大丈夫、という自信もつきました」 「菊谷文庫」の起業によって、自分がつくりたい本をつくれる場を手に入れた菊谷さん。起業前に抱いていた不安はなくなり、「個人事業を選んで良かったですね。非常に幸せ」と話した。 (取材・文:具志堅浩二)