AIは「脳の外在化」を進める人間の必然
「都市化」=「脳の外在化」
ここで「都市化」とは、単に人口が増えビルが建ち…といった居住を意味するばかりのものではない。人間がその周囲の空間に「知」を及ぼし「手」を加え、都合のいいように変えていく行為と定義したい。 もはや地球上には、少なくとも地表には、未知の世界を発見することが困難である。ランドサットの映像が津々浦々を照らし出し、北極の氷山やアマゾンの樹林の減少を観測し、動物の生態を調べるためにGPS発信装置をつけている。自然保護とは逆にいえば都市化なのだ。人間は限りなくその環境を知化し都市化する。グローバルとは地球を都市化するという意味でもある。 大きな河川に文明が起こったときは、農耕と定住が都市を支えた。 工業化が進むと工業の中心が都市となった。 しかし人間は次第にそういったものを都市の外縁に移し、人とその知の集積と交換、すなわち脳的な機能だけを中心部に残す傾向がある。つまり人間の都市は脳の機能に向かうのだ。 日本語の「都市」という言葉もこのことをよく表している。「都」は権力の中枢を意味し、「市」はさまざまな価値の交換の場を意味する。また英語の「civilization(文明)」という言葉は本来「都市化」の意味である。 都市化の本質は、人間がその居住空間を脳的な機能に近づけることではないか。
文字の誕生と拡大と思想化
「文字」の登場は、都市化の一大画期であった。 文字によって、法治国家と組織宗教が誕生し、大集落は「都市」になったのだ。実は、文字と建築様式には密接な関係があるのだが、それは別の機会にゆずりたい。 文字とは、人間の言葉を空間的に記述して残すことであり、脳がもつ記憶と交信の機能を身体の外部に移すことであり、これは「脳の外在化」であるといっていい*1。 近年は、文字の起源と見られる記号(原文字)がいくつか発見されているが、紀元前30世紀頃には、地中海周辺、メソポタミアとエジプトにかなり体系的な文字が成立していた。中国(黄河文明)、インド(インダス文明)がこれに次いでいる。ゲルマンヨーロッパと日本に文字の使用が広がったのは、7、8世紀であり、かなり遅い。そしてこの「ユーラシアの帯」以外の地域に文字が発達拡大したのは16世紀以後、ヨーロッパ人が植民してからである*2。文字の出現と拡大が、すなわち脳の外在化現象が、地球上に文明格差を生んだことは明らかだ。 そういった中で、紀元前6、5世紀、人類の脳の外在化にひとつの事件が起きた。 ギリシャにソクラテス(紀元前470または469~399年)、インドに釈迦(ゴータマ・シッダールタ、紀元前566~486年、諸説あり)、中国に孔子(紀元前552~479年)という、思索の深い哲人が登場し、その言葉が文字に残されたのだ。 ソクラテスは「真理を求めるための哲学の知」を語り、釈迦は「生死を超えるための超越の知」を語り、孔子は「よく生きるための道徳の知」を語った。彼らはいずれも、自らは書かず、愛弟子たち一人一人に語りかけ、その弟子たちが書き残した文章が伝えられ、その言葉が永く人類の指針となったのである。 このことが意味するのは、「ユーラシアの帯」の東西において、文字表現の思想化、すなわち「外在化された脳の思索の深化」が、同時期に起きたということだ。 文字はそれまで、神話、事実、法律、取引など、比較的単純な記録としての機能しかもたなかった。しかしこの時期、希有な資質をもつ何人かの個人が登場し、論理的な知の展開が文章化されることによって、普遍性の高い「思想」が誕生したのだ。おもしろいのは、こういった思想が、外在化された脳の過剰な権力に対する深い「反省」からくるように思えることだ。いずれもその言葉の根底には「知」とともに「愛」がある。