配偶者の不貞の相手に慰謝料を請求するのは、「配偶者をモノのように支配している」との思想から!? 「不貞慰謝料請求肯定論」の根底にある「配偶者は自分の所有物」という考え
不貞の生物学的根拠と法のあり方
この項目では、『現代日本人の法意識』第4章で論じる犯罪論の場合と同様、法学の枠を多少超えた地点から読者の方々にさらなる思考をめぐらせていただくための参考として、「不貞には生物学的な根拠があるのではないか?」という科学者たちの見解を紹介しておきたい。 『愛はなぜ終わるのか―結婚・不倫・離婚の自然史』〔ヘレン・E・フィッシャー著、吉田利子訳。草思社〕は、女性人類学者によるものである。人間の結婚の本来の形態は、継続的な一夫一妻制ではなく逐次的な一夫一妻制であり、より適応性の高い子孫を残すための繁殖戦略という観点からみれば、離婚や不貞にも生物学的な根拠があるとする。 『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』〔ジャレド・ダイアモンド著、長谷川寿一訳。草思社文庫〕は、多数の著書で知られる進化生物学者によるものである。「結婚、共同子育て、姦通の誘惑」という組み合わせをヒトという霊長類の特徴とした上で、ヒトがそのように進化してきた経緯を探っている。 つまり、生物学者ダイアモンドは、不貞に生物学的な根拠があるという人類学者フィッシャーの見解を、特に論じるまでもない当然の前提としている。そして、両者とも、動物や鳥類にも、そのような繁殖戦略はごく普通にみられるともいう(動物学者出身のサイエンスライターによる『赤の女王──性とヒトの進化』〔マット・リドレー著、長谷川眞理子訳。ハヤカワ文庫〕は、以上の点につきより詳しく解説、考察し、「種」としての人間の性関係は、「一夫一妻プラス盛んな不貞」で特徴付けられるとする。もっとも、リドレーは、フィッシャー説のうち「逐次的一夫一妻制」部分については根拠に乏しいとして批判している。その後の自然科学者、進化心理学者等の見解もおおむね「一夫一妻プラス不貞」の線が共通理解のようである)。 また、夫婦の間の子とされている子が実は夫の子ではない「他人の子確率」につき、ダイアモンドは、英米の各種遺伝子鑑定の結果から、控えめにみても5パーセントという数字を出している。水野教授も、フランスのシンポジウム記録に出ていた6パーセントという数字を産婦人科医たちとの研究会で出したら、「それは少なくありませんか。一割くらいはいるのでは」という発言が出て仰天したという(水野第15回)。 私がインターネットで調べてみたところでも、5から10パーセントくらいの数字が多かった。もっとも、小規模のアンケート結果などでは、びっくりするほど高いものもあった(なお、ダイアモンドも、別の著書『第三のチンパンジー──人類進化の栄光と翳り〔完全版上・下〕』〔長谷川眞理子・長谷川寿一訳。日経ビジネス人文庫〕では、「各種遺伝的研究の結果」としつつ、「約五ないし30パーセント」としている)。 ここでとくとお考えいただきたいのが、現代の人類は、性交時の避妊が可能であり、また容易でもあるということだ。それでもこの数字なのである。これらの子のかなりの部分は、母の意図した妊娠によって生まれてきたのではないだろうか。つまり、ついうっかり妊娠したという例は少ないのではないだろうか。夫以外の男性の子を産むのは、何といっても本来リスキーな事柄なのだから、過失の結果だけでこれだけの数字が出てくるとはとても考えられない。また、現代でさえこうなのであれば、性交時の避妊が難しかった時代には、上の数字はより大きかっただろうことが推測できる。 なお、不貞率については、鑑定によって確かめられることではないのでアンケートによるほかなく、また、文化による相違も一定程度あるものの、私の調べたところでは、まず二割から三割は固いというところかと思われた。政治家やタレントであれば、たとえ、「不倫、いけませんねえ。あるべき婚姻秩序をそこないます」などと演説やテレビで言っている人々をも含め、不貞率は、おそらく一般市民よりもずっと高いだろう(この点については、読者の多くも、同意されるのではないだろうか)。 もっとも、私は、だから不貞は許される、などというつもりはない。しかし、不貞に生物学的根拠があるとしたら、その事実は、不貞という人間の行為について省察する上での一つの重要な素材、前提とすべきではないかとは考える(なお、哲学者バートランド・ラッセルは、その『結婚論』で、「理性的な思考のためには、不貞、姦通といった道徳的な色合いの強い言葉を使わずに、『婚外性関係』といった中立的な言葉を使うべきだ」と述べているが、本書では、とりあえず、「不貞」という言葉を用いておく)。 つまり、前記のような科学的知見は、法が不貞に立ち入るには謙抑的であるべき、あくまで当事者間の関係に限定すべき、との考え方を補強するものといえよう。また、法によって守られるべき法律上の親子関係は、遺伝上の親子関係とは異なる、つまり、「他人の子確率」に該当する子についても、その子たちの嫡出子(法律婚カップルから生まれた子)としての身分は基本的に守られるべきであるという現代民法の考え方を補強するものともいえよう。民法は、婚姻中に妻が懐胎した子は夫の子と推定しており、この推定により、夫は、原則として、子の出生を知った時から三年以内に嫡出否認の訴えを提起することによってしか父子関係を争えない(民法七七二条以下。なお、この訴えは、子、母、前夫にも認められる)。 フランスでは、「遺伝上の親子関係は『燃えている石炭のようなもの』であり、DNA鑑定によって安易にそれを明らかにすることは、子の利益、福祉を害する」との観点から、そのようなDNA鑑定についての規制が厳しく、民間事業者による消費者向け遺伝子検査は刑事罰をもって禁止されている(水野第15回)。 代家族法という領域には、第三者不貞慰謝料請求や親子関係DNA鑑定といった一見単純にみえる事柄についても、その背後に、解き明かすのがきわめて難しい難問が控えていがちであることは、読者の方々も、心にとどめておいていただきたいと思う。 * さらに【つづき】〈「同性婚カップルが子をもつことを認める? 認めない?」…日本人が知っておくべき「同性婚に関する重大な法的知識」〉では、事実婚、同性婚をめぐる法意識について、くわしくみていきます。 * 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)
【関連記事】
- 【つづきを読む】「同性婚カップルが子をもつことを認める? 認めない?」…日本人が知っておくべき「同性婚に関する重大な法的知識」
- 【もっと読む】日本の離婚法は、国際標準の「現代」が実現できていないという「残念な現実」…「DV等被害者の人権」が国家によって守られる、海外との「極端な違い」
- 【もっと読む】「別居期間が長くても相手が合意しないと離婚できない」という日本の制度は、じつは先進国では少数派だという「意外な事実」
- なんと現代日本人の「法リテラシー」は江戸時代の庶民よりも低かった?…あまりにも「前近代的」すぎる現代人の法意識
- 「江戸時代の子ども」は「現代の大学生」も及ばない「高度な法意識」を持っていた!?…知られざる江戸時代庶民の「民事訴訟」リテラシー