配偶者の不貞の相手に慰謝料を請求するのは、「配偶者をモノのように支配している」との思想から!? 「不貞慰謝料請求肯定論」の根底にある「配偶者は自分の所有物」という考え
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】日本の離婚法は、国際標準の「現代」が実現できていないという「残念な現実」 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈日本の離婚法は、国際標準の「現代」が実現できていないという「残念な現実」…「DV等被害者の人権」が国家によって守られる海外との「極端な違い」〉にひきつづき、不貞めぐる法意識について、くわしくみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
不貞をめぐる法と法意識
夫や妻に不貞があった場合にその相手(第三者)に対しても不法行為に基づく損害賠償請求ができるか(第三者に対する不貞慰謝料請求)については、日本の最高裁はこれを認めている。 これについては、日本人の法意識では、「悪いことをしたんだから当然じゃないの?」と肯定する意見が多数のようである。最高裁判例は、それにそのまま乗っかっているともいえる。 しかし、これは、欧米では認められておらず、現代家族法の精神からすれば、疑問が大きい。 それは、第三者に対する不貞慰謝料請求肯定論の根底には、「配偶者をモノのように支配している、自分の所有物のようにみているという考え方」があるからだ。 同請求否定論の考え方をより詳しく敷衍すると、次のようになる。 「性というのは非常にデリケートで個人的な領域の事柄であり、したがって、貞操は法的にみればあくまで配偶者どうしの間での約束であって、配偶者が第三者と性交渉を持ったときに、配偶者はともかく、配偶者の感情の移った相手である第三者まで責め、そのプライヴァシーを暴くことは、配偶者を自分の持ち物のように意識していること、その意味で配偶者の人格を尊重していないことの表れ、ということになる」(水野教授と裁判官時代の私との対談「離婚訴訟、離婚に関する法的規整の現状と問題点──離婚訴訟の家裁移管を控えて」判例タイムズ1087号4頁以下において私が要約した水野教授の見解。私の意見も同様である。なお、この対談では、離婚に関連する法的問題の多くについて、掘り下げた議論が行われている。水野教授のウェブサイトでも全文を読むことが可能)。 最高裁判例は、肯定論の根拠として、「婚姻共同生活の平和の維持」を挙げる。 しかし、実をいえば、戦前から認められていたこの請求について最高裁としてこれを肯定した最初の判例(1979年〔昭和54年〕3月30日)は、そのような根拠は示していなかった。上の根拠は、それよりもずっと後の判例(1996年〔平成8年〕3月26日)で初めて示されたものなのだ(婚姻関係が破綻した後には不貞は不法行為にならないとし、その理由として、この請求は「婚姻共同生活の平和の維持」を目的とするものだから、と述べた)。実際には、最高裁は、「不貞は、日本の伝統的な婚姻秩序をおびやかすものだから罰すべきである」という保守派の価値観を共有し、あるいはそれに同調して肯定論を採ったのであり、それが、「本音」なのであって、先の根拠は、いずれかといえば後付けの理屈にすぎないのではないだろうか。 配偶者の不貞についてその相手に報復したいという感情をもつ人は多いだろう。そのような感情、不貞の相手を許せないという気持ちについては、自然なものともいえる。しかし、国家が「法」という形式でそれに応じることは、やはり問題が大きい。民事訴訟という一見そうはみえない形式の中に、薄められたかたちにおいてではあるが、戦後に廃止された姦通罪処罰に通じるような価値観を盛り込んでいるともいえるからだ。 まず、婚姻破綻後、あるいは離婚後の請求についてみると、第三者を法廷にさらして復讐したいという気持ちが動機になっていることが多く、これは、「法廷は復讐の場所ではない」という近代法の原則に反していないかとの疑いがある。 次に、原告が婚姻を継続したいと考えている場合には、原告はそのような訴訟を行うことで一時的に「気がすむ」かもしれない。しかし、それが夫婦間の問題の本質的な解決につながるとは限らない。本来きわめてプライヴェートなものであり、自分たちの間で解決するほうが互いのためにも適切な「夫婦の愛情という領域」の問題を、夫婦の一方が国家の力を借りて強引に解決したことになるからだ。そのような事態は、かえって、配偶者との間に、冷たいものを、不信を残すことになりかねない。 実際、私は、あるヴェテラン弁護士から、この懸念を裏付ける話をお聴きしたことがある。法廷に紛争を持ち出したことで夫婦の溝が決定的になり、結局離婚に至ってしまったというのである。その弁護士は、上の出来事以来、こうした訴訟の依頼があれば、一次的には弁護士の行う相手との交渉による裁判外の和解の方法を勧め、そのような方法について承諾が得られる場合にだけ依頼を受けるようにしているということだった。 もっとも、第三者が、不貞行為にとどまらず、原告に対するいやがらせなどの不法行為を行った場合に、これに対する損害賠償請求が認められるのはもちろんである。実際、そうした事例も、まれにではあるが存在する。 なお、学説の中には、不貞については配偶者間でも慰謝料請求を否定する考え方もある。また、アメリカにもこれを否定する州があると聞く。日本の訴訟でも、配偶者間の不貞慰謝料請求は、不貞等による離婚を求める場合に離婚慰謝料の根拠として主張するかたちで請求する例はあるものの、当事者が婚姻を維持する意向をもっている場合にはまず例がない。つまり、その場合には、第三者に対してのみ慰謝料請求をするのが普通なのである。 だが、自分に対して直接に責任を負うはずの配偶者は訴えずに第三者のみを訴えるというのは、法的にみれば本来アンバランスであり、こうした部分にも、第三者不貞慰謝料請求の理論的な問題が表れているといえよう。
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