【闘病】ステージ4の「下咽頭がん」でも声帯は残したかった… 役者生命もかけて
手術のあとに待ち受ける過酷なリハビリ。どうしても声を出したいという気持ち
編集部: その後、サードオピニオンを受けられたそうですね。 中村さん: はい。喉の全摘出手術を受ける覚悟をしましたが、日が経つにつれ、「どうしても声を失うのは嫌だ」と思いました。もうこれ以上猶予がないという時期に、サードオピニオンとしてがん専門病院の頭頸外科で、一番偉い先生に診ていただくことができました。 編集部: その先生からはどのようなこと言われたのでしょうか? 中村さん: 「ほかの2つの病院で言われたとおり、喉頭を全摘出することが最善の方法です。しかし、あなたがそこまでして声を残したいという、その強い想いに応えたい」と言われました。 編集部: ではそこで声帯を残す手術をされたのですね。 中村さん: はい。2020年12月21日、がん専門病院に入院し、声帯を残したまま、喉の腫瘍部分だけを切除する、部分摘出という手術を行いました。ステージ4の下咽頭がんの場合、普通はこの方法はとらないそうです。 再発のリスクは非常に高く、声を残せたとしても、これまでと同じような発声が出来るとは限りません。飲食に支障が出るなど、さまざまなリスクの説明を受けましたが、最終的に部分摘出手術を受けることに決めました。 その後、12時間に及ぶ大手術を行い、声帯を残して喉の大部分と左右のリンパ節を切除し、切除した咽頭部は自分の腸を移植して再建していただきました。それから、集中治療室にて地獄の日々が始まります。 編集部: 具体的にどのようなことがあったのでしょうか? 中村さん: 一週間ほどICUにいた期間は一切声を出すことが出来ず、すべて筆談でした。全身に機械や管をたくさんつけられ、身動きが取れない上にこちらの意思を上手く伝えられず、相当なストレスでした。 近くにある物を投げ付けたり、大の大人が若い看護師さんの前でワンワン泣いたりしていました。特にきつかったのは、数十分おきに行われる痰の吸引です。腸も切っているので、吸引の度にお腹へ響き、ベッドの上でのたうち回っていました。 喉の痛みよりも、お腹の痛みのほうが何十倍も辛かったです。夜になっても痛みで寝付けず、とにかく時間の経過を遅く感じていました。 編集部: 病気が判明したときの心境について教えてください。 中村さん: 声を失うということがショックで、信じられませんでした。私は役者としても活動していますが、声を失ったら役者を続けるのは無理です。声が出ない状態で、これから先どうやって一人で生きていけばいいのかという大きな不安もありました。 一方で、なぜかどこか他人ごとのような感じもあって、まったく実感がありませんでした。まるで、がん患者の役を演じているような、そんな不思議な感覚もありました。 編集部: 発症後、生活にどのような変化がありましたか? 中村さん: がん発覚から入院まで2ヶ月くらいあったのですが、その間にだんだん喉の痛みが増し、耳にも痛みが広がってきました。それから、痰に血が混ざることが多くなりました。それでも声は普通に出ていたので、声を失うということが余計に信じられませんでした。 その後は三度の手術を受け、奇跡的に声は残せましたし、今は痛みもありません。ただし手術の影響で首に強い圧迫感があり、また飲食が多少不便ですが、生活面での変化はそんなにありません。一番の変化は、入院前には毎日飲んでいたお酒を一切やめたことです。