世界三大美人の一人、小野小町の百人一首「花の色は~」の意味や背景とは?|小野小町の有名な和歌を解説【百人一首入門】
小野小町はエジプトのクレオパトラ、中国の楊貴妃と並び世界三大美女として名をはせていますが、その経歴は未詳で各地に小町伝説を残しています。六歌仙唯一の女流歌人であり、三十六歌仙にも選出されています。 写真はこちらから→世界三大美人の一人、小野小町の百人一首「花の色は~」の意味や背景とは?|小野小町の有名な和歌を解説【百人一首入門】
小野小町の百人一首「花の色は~」の全文と現代語訳
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 【現代語訳】 桜の花はむなしく色あせてしまったな。春の長雨が降っていた間に。私の容姿もすっかり衰えてしまった、ぼんやりと物思いにふけっているうちに。 『小倉百人一首』9番、『古今和歌集』113番にも収められています。この和歌は、百人一首の中でも特に有名で、花の色が褪せてしまったことを、自身の美しさの衰えに重ねて詠んだものです。美しさがなくなってしまうのは無念であるという感情が、花の移り変わりにたとえられています。 「花」とは、桜の花を指します。桜は短い間に咲き誇って散っていく、はかない美しさの象徴として多くの歌に詠まれています。「うつる」は色あせて衰えるという意味で、長雨のために花の色があせてしまい、花の美しさを見せないまま終わってしまったというのです。 「いたづらに」はむだに、むなしくといった意味。「花」は女の容姿を暗示していて、桜の花に自分自身を重ね、女盛りの美しさが時の流れと共に、むなしく老い衰えていく様子に哀感を抱いています。 「ながめせしまに」という部分は、ぼんやりと物思いにふける間に、という意味で、人生の無常をしみじみと感じている様子が表現されています。シニア世代にとって、時間の経過や自身の変化を感じることが増える時期に、この歌は特別な共感を呼ぶでしょう。 「降る」と「経る(ふる)」、「長雨(ながめ)」と「眺め」の掛詞が「降る長雨」の自然と「経る眺め」の人事の二重の文脈を作っている技巧が秀逸です。
小野小町が詠んだ有名な和歌は?
前述したように、小野小町は六歌仙や三十六歌仙にも選ばれるほどの歌人です。『古今和歌集』の「仮名序」には、 小野小町は古の衣通姫(そとおりひめ)の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。 いはば、よき女のなやめるところにあるに似たり。つよからぬ女の歌なればなるべし。 とあり、古事記や日本書紀に登場する、和歌を詠んだ伝説的な美女「衣通姫」になぞらえ、その美しさと「手弱女振り(たおやめぶり)」という女性的で優美な歌風を称えています。以下に、古今集から二首紹介します。 1:思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを 【現代語訳】 あなたの事を思いながら寝たので夢に見たのでしょうか。夢と知っていたら目覚めずに眠っていたのに。 この和歌は、夢の中で愛する人に会ったときの切なさを表現しています。夢の中では幸せを感じつつも、それが夢だとわかってしまったときの現実感に打ちのめされる瞬間。 「夢と知りせば 覚めざらましを」という部分には、もしこれが夢だとわかっていなければ、目覚めたくなかったという願いが込められています。このような微妙な心の動きは、今も昔も変わらない人間の感情です。平安時代にあっても、人々の心の中には同じような恋の悩みや憂いがあったことを感じさせてくれます。 2:色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける 【現代語訳】 (花ならば、色あせていく様子が目に見えるが、)外見には見えずに色あせてしまう(変わってしまう)ものは、世の中の人の心という花であったのだなぁ。 この歌では、「人の心」を「花」にたとえて、無常で移ろいやすいものとして表現しています。「色見えで」という表現は、目に見えないうちに変わっていくことを指しています。小野小町は、まるで花の色が気づかないうちに変わり、枯れてしまうように、人の心も知らぬ間に冷たくなり、去っていくことを嘆いているのです。