MotoGP日本人ライダーの戦い【第7戦イタリアGP】4年分の思いとともに表彰台へ。Moto3山中琉聖が3位を獲得
文/Webikeプラス 伊藤英里_Eri Ito ムジェロ・サーキットは丘陵の中にあるコースである。1km以上あるストレートの最終コーナー立ち上がりから1コーナーのほうへ目を向けると、遠くに山々が見える。コースを見下ろす緑に覆われた斜面には、観客のテントが並んでいた。そして、時々、MotoGPやMoto2、Moto3マシンのどれとも違う、おそらく観客のものであろうバイクのエキゾーストノートが上がり、広い空へ吸い込まれていく。 【画像】MotoGP第7戦イタリアGPをギャラリーで見る(12枚) 人気を集めるのはドゥカティのエースにして2022年、2023年チャンピオン、フランチェスコ・バニャイア。そして、「ドゥカティ」だ。ムジェロにはバレンティーノ・ロッシのTシャツや「46」のフラッグが混じってはいるが、ドゥカティの赤のほうが色濃く印象を残す。 決勝レースでは、ドゥカティのファクトリーチームであるドゥカティ・レノボ・チームのバニャイアが優勝し、エネア・バスティアニーニが2位、そしてドゥカティのサテライトチームのライダーであるホルヘ・マルティン(プリマ・プラマック・レーシング)が3位を獲得して、ドゥカティが表彰台を独占した。 ムジェロの観衆は、レースが終わったメインストレートになだれ込んで、イタリアンの勝利に酔っていた。 イタリアGPとその後の数日間、そんなイタリアンメーカーの来季以降のシートの話もまた、にぎわせた。けれどこの記事では、イタリアGPの日本人ライダーにフォーカスしたい。ムジェロで、日本人ライダーたちはどう戦ったのだろうか。
Moto3山中琉聖、待望の表彰台を獲得
イタリアGPで最も感銘的だったシーンの一つは、山中琉聖(MTヘルメット – MSI)の3位表彰台獲得だろう。2020年からMoto3にフル参戦してきた山中にとって、Moto3で初めて獲得したポディウムだった。 Moto3の決勝レースは最初のレースで転倒が発生し、このために赤旗中断となった。中断中、山中は自分のポジションを見て、「このままでは日本に帰れない」と思ったと、レース後の会見で振り返っている。少しのユーモアを交えた回答ではあったが、少なくとも、山中が再開後のレースに向けて気持ちを新たにしていたことは確かだろう。 果たして、11周で再スタートしたレースで、山中は攻めた。レース序盤にして、14番手スタートからトップ集団に加わった。最終ラップを4番手で迎えた山中は、3番手のチームメイト、イヴァン・オルトラ(MTヘルメット – MSI)を最終コーナーでとらえようと考えていた。結果的にオルトラは12コーナーで転倒を喫して山中が勝負を仕掛けることはなかったが、最後までトップ集団で走り続けたからこそ獲得した、3位だった。 レース後のトップ3会見で「どんな気分ですか?」と問われた山中は、「ポディウムでたくさんシャンパンを飲んじゃったものだから、わからないんです!」と、笑顔でジョークを言って会見場にいたジャーナリストたちを笑わせた。 「(中断中に)タイヤを交換しなかったので、レース後半は大変でした。そのせいで、リヤのフィーリングに苦しみました。でも、集中してひたすらに攻めて、彼ら(優勝のダビド・アロンソと2位のコリン・ベイヤー)に追いつこうと頑張ったんです。そしてついに、表彰台を獲得したんです。本当にうれしいです」 今季は表彰台を争うポジションでのレースを何度も展開してきた。山中自身にとっても、待望の表彰台だっただろう。 英語で行われる会見のあと、日本語であらためて話を聞いた。山中はパルクフェルメのインタビューで、声を詰まらせていた。きっと、様々な感情が渦巻いていたはずだ、と。 「そうですね……」と少し考えた山中は、こう語りだした。 「早い人なら初戦で表彰台に上がったりもしていますが、僕は表彰台まで4年以上かかりました。4年以上もやって表彰台に上れないのか、という批判の声もありましたし……。 人一倍、悔しい思いやつらい思いをしてきたと思います。でも、うれしさも4年分あります。ずっと今まで表彰台に近かったので、それがやっと手にできたのはうれしいです」 「Moto3参戦3年目のときはシートを失いかけたこともあって、たくさんのスポンサーさんに助けてもらいました。4年目にやっといい条件でいいチーム(Valresa GASGAS Aspar Team。2022年のチャンピオンチーム)に入れたと思ったら、なかなかうまくいかなかったんです。このチームに来て、トレーニング環境も変えて、テストからもいい走りができて、ようやく表彰台に立てました」 そして、山中にとって大切な存在のこともあった。2021年、イタリアGP予選中の転倒によってこの世を去った、ジェイソン・デュパスキエだ。 「このサーキットで自分の親友だったジェイソンが亡くなりました。そういう意味でも、すごく特別な思いもあります。つらい思いや苦しい思いだったり……、言葉にできない、いろいろな思いが込みあげました」