西岡剛のドラフト1位指名に尽力、新庄剛志獲得をめぐるトラブル…「ボビー・バレンタインの逆鱗に触れた男」が証言する「ロッテ編成部長時代のウラ事情」
「なんで西岡、打てないの?」
森本は1934年生まれ。奈良県立郡山高校から関西大に進み、社会人の京都大丸を経て1963年から母校郡山の監督に招聘された。以降、2009年まで47年間郡山を指揮し、春夏合わせて甲子園に11度出場した名将である。 それと同時に関西の野球界に影響力を持つ重鎮として知られ、高校野球の監督、中学の指導者、そしてプロ野球のスカウトとも交流があった。 森本は郡山高校のほか、大阪桐蔭へも密かに指導に行っており、いわば「大阪桐蔭の陰のコーチ」(広野)でもあったという。当時、関西で活動するプロ野球のスカウトにとっては避けて通れない人物だった。 森本は中学時代の西岡も指導し、大阪桐蔭への入学をすすめたひとり。西岡の獲得のためには、この関西のドンに話を通す必要があった。 6月、大阪桐蔭とPL学園の練習試合に向かった広野は、スタンドで森本に挨拶をした。 「森本先生、初めまして編成部長の広野です。いつも松本がお世話になっているようで」 「広野君、よく来た。西岡を見に来た?いい選手だろう。じゃあ、横に座って一緒に見よう」 しかし、広野らの期待とは裏腹に西岡にヒットが出ない。森本は打てなかった理由を尋ねた。 「広野君、なんで西岡、打てないの?」 「先生、西岡はものすごく体が開いてるでしょう。我々、スカウトが来てるってわかって、右に引っ張っていいとこ見せようとしているんです。徹底して左中間に打たす練習したほうがいいです。そしたら、すぐ直りますよ」 「そうか!わかった!」 こう言うと森本は、試合を終えた西岡に駆け寄り、アドバイスを伝えたのだった。さらに、翌日、森本は自身が監督を務める郡山高校に広野を招き、練習を見せた。ここでの光景が広野は忘れられないという。
「必ず1位で指名します」
「僕がグラウンドに一歩踏み入れた瞬間、部員全員が練習をやめて一斉に『こんにちは!』と挨拶するんです。すごい教育だと思いましたね」 選手たちの練習を見た後、高校の近くにある森本の自宅で広野と森本は話し込んだ。 「西岡、何位でいくつもり?」 「もちろん1位ですよ。でも、先生、他の球団も競合しそうなんです」 「そうらしいな。ロッテは必ず1位でいくの?」 「必ず1位で指名します」 「そうか。わかった」 この後、広野が再び森本に会いに行った際、森本はこう言った。 「広野君、西岡は大丈夫だ。安心しろ」 この言葉の意味は、「他球団には話をつけたから、ロッテは安心しろ」ということだ。 「ドラフトの順位はその選手への一番の評価です。西岡を1位と確約したうちの心意気を森本先生は買ったのでしょう。森本先生に『降りろ』と言われれば、他球団のスカウトは頷くしかないんですわ」 さらに、森本は広野に対してこう続けた。 「広野君、西岡の両親に会いたいでしょう。僕がふたりと食事しているところに呼ぶから、そこにおいでよ」