ウクライナ戦争が「きわめて21世紀的な戦争」だと断言できる「意外な理由」
SNS上での承認を求め、タイムラインに流れる「空気」を読み、不確かな情報に踊らされて対立や分断を深めていくーー。私たちはもう、SNS上の「相互承認ゲーム」から逃れられないのでしょうか。 【写真】ウクライナ戦争が「きわめて21世紀的な戦争」だと断言できる「意外な理由」 評論家の宇野常寛氏が、混迷を深める情報社会の問題点を分析し、「プラットフォーム資本主義と人間の関係」を問い直すところから「新しい社会像」を考えます。 ※本記事は、12月11日発売の宇野常寛『庭の話』から抜粋・編集したものです。
キーウの幽霊
いまや懐かしい話だ。ロシアがウクライナに侵攻を開始した日、つまり開戦の翌日に当たる2022年2月25日のことだった。 ロシアの侵攻に抵抗するウクライナの人びと、そしてウクライナを支持する人びとのあいだで、ある噂がネットを通じて拡散していった。 それは、ウクライナのMiG-29戦闘機を操縦するあるエースパイロットが、開戦から30時間のあいだにロシアの戦闘機を6機撃墜したというものだった。 この「噂」には、約20秒の短い動画が添えられていた。キーウの市街地のビルの隙間から見上げるように撮影されたそれは、上空を飛行する機影とその爆音を一瞬だけとらえていた。 このエースパイロットは「キーウの幽霊」と呼ばれ、瞬く間にロシアの侵略に対する抵抗のシンボルの位置を獲得していった。 ウクライナの前大統領ペトロ・ポロシェンコは、「キーウの幽霊」その人であるとするパイロットの画像をTwitter(当時はまだ「X」という名称ではなかった)に投稿し、欧州連合のウクライナ大使ミコラ・トチツキーは「1人のウクライナのMiG-29ジェット戦闘機パイロットが、ロシア人との空中戦で1日で6回の勝利を収めました。彼は「キーウの幽霊」と呼ばれています」とその存在を讃えた。 すでに広く知られているように、この噂は事実無根のデマにすぎない。そのようなエースパイロットは存在せず、投稿された動画はロシア製のコンピューターゲームの動画を再編集し合成したものであることがその日のうちに複数の、それも西側諸国のメディアの検証によって判明していた。 おそらくそれは開戦当初は圧倒的な優位を保持していると考えられていたロシアの侵攻を前にしたウクライナの市民が、あるいはウクライナを支援するどこかの国の誰かが自分たちを勇気づけるためにつくった他愛もない作り話にすぎなかった。 しかしウクライナはこの小さな噂を最大限に利用した。「英雄」の物語によって自国の、そして西側諸国の市民の戦意高揚をおそるべき低コストで実現したのだ。 英雄の捏造のためにウクライナが「表立って」おこなったことはひとつだけだ。ウクライナ国防省がそのTwitterのアカウントで「キーウの幽霊」の噂について述べるさまざまな人びとの投稿を、とくにコメントも付けずただリツイートすること──それだけだった。 しかし、その効果は絶大だった。国防省の担当者がこの「噂」を拡散する作業に費やした時間は、おそらく驚くほど短い。しかしこの「噂」の拡散が、西側諸国においてウクライナ支持の世論が開戦直後に急速に醸成されたことに少なからず貢献したことは疑いようがない。それが24時間足らずでデマであることが検証されたとしても、その費用対効果はきわめて高かったはずだ。 重要なのは、ほんの短い間だけエースパイロットの実在が信じられたことよりもむしろこの「噂」が広く、瞬く間に数多くの人びとにシェアされた事実のほうだった。たとえ捏造されたものであったとしてもそれを多くの人びとが求めていることが可視化されたことにこそ、意味があったのだ。 この虚構の英雄の物語は大統領プーチンの専横と彼によって引き起こされた侵略戦争に抵抗するという西側諸国の市民たちの国境を越えた強い連帯が、それも急速に成立しうることを瞬く間に知らしめてしまったのだ。