朝ドラ『虎に翼』女性初の判事補は寅子ではない!? 44歳でキャリアをスタートさせた石渡満子さんの生涯とは
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第13週「女房百日、馬二十日?」がスタート。「愛のコンサート」が成功し、歌手・茨田りつ子(演:菊地凛子)が名前を挙げたことで一躍有名人となった寅子(演:伊藤沙莉)。女性判事補としてメディア対応に追われ、女性たちはアイドルのようにサインを求めて家庭裁判所に押し寄せた。ちなみに、史実では寅子が判事補になる少し前に「女性初の判事補」として注目を集めた女性がいる。今回は法曹界への女性進出の最前線にいた石渡満子さんの生涯を追う。 ■戦後の法曹界で輝いた女性初の判事補 石渡さんは明治38年(1905)に神奈川県で4人姉妹の長女として誕生した(父親の赴任先である京都生まれという説もある)。大正11年(1922)に東京女子高等師範学校附属高等女学校本科を卒業した後、東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)に進学し、大正15年(1926)に卒業した。 卒業とほぼ時を同じくして結婚したものの、8年後に離婚。「女性であろうとこの先自立して生きていきたい」と法律の道を志した。昭和13年(1938)に寅子のモデルである三淵嘉子さん、そして田中正子さん、久米愛さんの3人が高等試験司法科に合格したというニュースに刺激を受けた石渡さんは、3人が学んだ明治大学専門部女子部法科で学ぶことを決意する。 寅子たち同様、戦争の影響で勉学に集中することができない時期もありながら、最終的には昭和19年(1944)に明治大学法学部を卒業。終戦後、昭和22年(1947)に高等試験司法科に合格している。石渡さんは、日本初の検事となった門上千恵子さんとともに、戦後に男性とともに司法研修所で修習を受けた初めての女性司法修習生となった。 そして、昭和24年(1949)4月に判事補として東京地方裁判所に配属されたのである。この時こそが、日本で初めて女性判事補が誕生した瞬間だった。石渡さんが44歳の時のことである。ちなみに、寅子のモデルである三淵さんが判事補になったのは、同年の6月のことだった。わずか2ヶ月の差だ。 判事補としてのキャリアをスタートさせた石渡さんは、昭和25年(1950)に婦人人権擁護同盟を設立。また、昭和36年(1961)に判事になってからは、関東各地のいくつかの地方裁判所に赴任した。最終的には、1970に横浜地方裁判所の横須賀支部で定年退官を迎えた。退官後は弁護士となって第二東京弁護士会に所属し、昭和49年(1974)に69歳でこの世を去った。 <参考> ■明治大学史資料センター「三淵嘉子(みぶちよしこ)―NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の主人公のモデルとなった女子部出身の裁判官―(法曹編)」 ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部