ジェーン・スー 宇多田ヒカルデビュー25年周年のライブを観に国立代々木競技場へ。傍観者だった私は、いつの間にか彼女と一対一で対峙していた
◆ひとりひとり 通常のライブでは、中盤や終盤にヤマを持ってくる演出が施される。意図的なのか否かわからないが、あえてヤマを作らないようにしているふうに私には見えた。MCで観客を煽ることも、ダンサーを従えることもなく、彼女もまた1万3000人と一対一の会話をする。客もそれを心から祝福している。あたたかく静かな空間。気づけば汗はすっかり引いていた。 途中のMCで彼女は、ファンのみんなにとっての25年でもあると話した。見回すと、確かに25年の月日を経た顔の大人が多い。私も例外ではない。それぞれの25年に、それぞれのヤマがある。 終盤に差し掛かったころ、彼女が「花束を君に」を歌い出した。 「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」から始まるこの曲を初めて聴いた時、彼女が亡き母のことを歌っているとすぐにわかった。私の母も、普段はほとんどメイクをしない人だったから。病院から家に戻ってきてからもパンパンにむくんだままだった顔は、翌朝にはすっかりしぼみ、死に化粧が施された姿は、よく知る母のようでもあり、知らない人のようでもあった。 母が亡くなって27年になる。あれからずっと、私はなにも弔えていないような気がする。申し訳なさが一気に襲ってくる。喪失感や後悔や憤怒がないまぜになって、涙がどんどんあふれてきた。 傍観者だった私は、いつの間にか宇多田ヒカルと一対一で対峙していた。「みんな」のうちのひとりとして、彼女は私を扱わない。 宇多田ヒカルがファンにとって、たったひとりのアーティストである所以が理解できたような気がした。と同時に、「個」と「個」としてファンと対峙するには膨大なエネルギーが必要だろうと、天を仰ぎたくもなった。
ジェーン・スー
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