森島、香川、清武、柿谷と継承するセレッソ大阪のエースナンバー「8番」は、まだ凍結
森島がトルシエジャパンの一員としてゴールを決めた前出のチュニジア戦を、中学校に進学したばかりの柿谷は長居スタジアムのスタンドで観戦していた。4歳から育成組織で心技体を磨いたことで芽生え、年を重ねるごとに深くなっていったセレッソへの愛情はこのとき、マックスに達している。「迷うことなくセレッソで8番をつける道を選んだ」。当時をこう振り返る柿谷は、ある決意を胸中に刻んでいる。「セレッソの出身者としてではなく、セレッソの一員としてワールドカップに出る」。 2013年1月30日に開催された新体制発表イベントで、ファンの前で初めて背番号「8」を披露した柿谷は「背中がすごく重い」と笑顔で語っている。「僕がつけていい番号かどうか、自分でも何回も悩みました。森島さんから『つけてくれ』と直接言われた時には、ちょっと泣きそうになるくらい感動しました。この背番号をもらうからには、森島さん、(香川)真司君、キヨ(清武弘嗣)、誰にも負けないようにしたい」。 柿谷がゴールを量産しはじめた昨シーズンの序盤に、こんな質問をしたことがある。 ――憧れてきた背番号「8」を、どんな色に染めたいと思っていますか。 返ってきたのは意外な言葉だった。「いまはただ借りているだけ。自分の色なんて、まったく考えられない」。最終的にはリーグ3位となる21ゴールをマークし、オフにはセリエAのフィオレンティーナから移籍オファーが届いても、柿谷は真の意味で背番号「8」の後継者となったとは思えなかったのだろう。 自分に何が足りないのか。2試合に途中出場しただけで無得点に終わったワールドカップ・ブラジル大会で「心の強さ」という答えを見つけた柿谷は、タイトルをもたらすという約束をかなえられないまま、シーズン半ばでセレッソを去る理由を涙ながらにファンとサポーターに説明した。「もっともっと強くなって、8番が似合う選手になってセレッソに帰ってきたい」。 岡野社長は4代にわたる背番号「8」の系譜の重さを、あらためてかみしめる。「ウチはJリーグの中でもっとも背番号を大切にしているチーム。その中でも8番は特別です。先人たちのセレッソにかける想いが、8番をどんどん重くしてきたんです。南野に対してもチヤホヤするだけではなく、ダメなときはダメとしっかり書いてくださいよ(笑)」。