森島、香川、清武、柿谷と継承するセレッソ大阪のエースナンバー「8番」は、まだ凍結
森島が現役引退を決意した2008年。当時J2を戦っていたセレッソは、12月6日にホームで行われた愛媛FCとのリーグ最終戦の後半アディショナルタイムに、前年から患っていた首痛で満足にプレーできる状態ではなかった森島をピッチに送り出した。万雷の拍手が降りやまない中、交代でピッチを後にしたのは森島が後継者に指名していた香川真司(現マンチェスター・ユナイテッド)だった。28秒間のプレーで試合はセレッソの勝利で終わり、その後に行われた引退セレモニーで、森島は8番のユニホームを自ら香川に手渡した。 2009年から2代目を拝命した香川は、ボルシア・ドルトムントに移籍するまでの約1年半の間に、J2を含めて55試合に出場して34ゴールをマーク。翌2011年は空き番となったことが、セレッソにおける背番号8の「重み」を物語る。大分トリニータから移籍で加入したMF清武弘嗣(現ハノーファー)が2年間におよぶ活躍を認められ、3代目を託されながらわずか半年でニュルンベルクへ移籍した2012年7月には、偽らざる本音を明かしている。「移籍は迷いました。8番をつけていながら、何も結果を残せなかったので。8番じゃなかったら、ここまで悩まなかったかもしれません。セレッソにとってはそれくらい重い番号やし、正直、重さがきついと感じることもありました」。 迎えた2013年。8番は柿谷に託される。練習への遅刻などを繰り返し、当時J2の徳島ヴォルティスへ期限付き移籍で武者修行に送り出されたのが2009年6月。復帰を果たした2012年は途中出場で結果を残しながらポジションをつかみ、最終的にはチームトップの11ゴールをマークしたことで、誰もが認めるエースとなった。2012年のオフに、柿谷はニュルンベルクから移籍のオファーを受けている。新天地に挑む決意をほぼ固めていたときに森島の自宅に招かれ、背番号「8」を継承して欲しいと直々に要請された。